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平凡な生活

 小さな町の小さな家の話しである。
 この家の主人、といっても、それは名ばかりで、年金のほか一円の収入もない生活を送る60過ぎの前期高齢者であった。晴れた冬の日には、この小さな家の木製のベランダに、午前のひととき、朝陽があたるのだ。主人は独身時代から捨てがたいロッキングチェアーに凭れて、パイプを吹かし空の一角を、子供のように眺めて過ごすのである。キザミ煙草の煙がふわりふわりと漂うなかで、ほんのしばらく、もう数年も花をつけない沈丁花、前と後に可愛らしいオチンチンをつけたガジュマルの鉢たちの葉の緑をながめて、ぼんやりとするのである。この小さな家を建てるのに、1年半もかかったことを想いだすこともあれば、また、この小さな町の景観の変わりように、辺りを眺めやることもある。その昔、賑わった風呂屋は焼失し、そのあとにそそり立った、木造の小体な家が立てこんだこの町には不釣り合いなマンションを一瞥するが、すぐに目を逸らす。このマンションがなければ、その家のベランダにはもっと長いあいだ陽があたっていたにちがいないのだ。それからずいぶんの月日が経ってしまった。このマンションの一階はファミリーマートになり、一日中客足の出入りが絶えない。結構な賑わいである。家の前の路地には、韓国人や中国人やインド人の話し声が時折聞こえる。年寄りのお婆さんの大きな声がこの家の中までまる聞こえの時もある。老人たちが大きな声で話すのは、お互いの耳が遠いせいもあるが、この町があまりに他人に頓着なく、遠慮もいらない下町のせいでもあるのだ。夜半に酔っ払いが独り罵声を上げていることもある。
 パ イプをいっぷくすると、主人は自分用に作った部屋に籠もる。椅子に座り、CDのモーツアルトを聴きながら、机の上のパソコンを立ち上げる。優雅な音楽はもう耳に入ってこないよいうだ。まずはニュースと僅かな金を投資したマーケットの情報を確認する。それからパソコンになにやらを書つける。自分用の家計簿をつける。武術の稽古での指導者からの注意点を書きこむ。そして、いざ「創作活動」を始めようとするが、エンジンがかかることは滅多にあるものではない。一編でもいいから、自分が満足するものを書きたいと思う。しかし、それが容易なことではないのである。過去に書いたあれもだめ、これもだめと、にわかに希望の灯が消え、気分は灰色の雲に覆われていく。モーツアルトがうるさくなる。どこか遠くの温泉へ行くか、一人で海を眺めていたい気分だ。銃の撃ち合いと激しいセックスと自動車の追いかけっこの、あのアメリカ映画にはもううんざりである。あっという間に午前の時間が流れ去る。
細君から内線電話で昼食との声がする。昼食をとると眠気が襲ってくる。引きっぱなしの蒲団にもぐり込んで、区営の図書館から借りた本を数冊、寝ながらつぎつぎと読み出す。そとづらでは、悠々自適な生活にみえるであろう。が、その内実は殺伐たるものなのである。最後の日はいつくるのであろうか・・・。
 この主人がベランダに出て、わが部屋に入るまでには、愛妻家であり恐妻家であるこの主人が、家事手伝いをしていることを、ここで忘れないように記しておかなくてはならない。勤めを早めに辞めてしまい、こうした毎日を過ごすについたは、細君へのそれなりの気遣いをしていることは、それは当然なことであったにしても、やはり追記しておかねば、あまりに身勝手な主人の生活ぶりばかりが目立つだろうからである。世間体もよくない。
まずは風呂洗いである。夏は汗にまみれ、冬は冷たい水にからだを濡らして、隅から隅まで拭き乾かせ、浴槽はとりわけ念入りに清潔にしなければならないのである。つぎに、パリに飛んでいってしまった娘が残していったインコの籠を清掃し、餌を補給しなければならないのだ。そのつぎは、便所掃除が待っているのである。なんでも丁寧にやらなければ済まない細君の事後のチェックに堪えられなくてはならないのだ。それから、ベランダの鉢の植木に水をやることを忘れてはいけない。なぜなら、これらの植木は主人が買い集めたものばかりだからである。あまりに水をやりすぎたり、やらなかったりして、いったい幾種類の鉢の植木を枯らしてしまったことだろう。空になった鉢がごろごろとベランダの隅にあるのだ。また、同じような失敗をすれば、やんわりとした口調ながら厳しい細君の叱正を覚悟しなければならない。だが細君のために付言しておくが、彼女は下町の女性らしい、世話好きで機転がきいてとてもこまめによく働いてくれるのである。ためにこれまで、どれほどこの主人が助けられたか知れないが、あまり大っぴらに言えば、余計に尻にしかれる心配があるのだ。ここでは秘かに、感謝を申し上げねばならないところなのだ。
 結婚当初は埼玉の大宮に住んでいたのだが、風呂を焚く釜の下に大きな蝦蟇をみて驚き、庭をのそりのそり這う蛇の姿や、風呂の壁に大きなナメクジを見たりしてから、長女の出産に実家近くの産院に戻ってから、70坪の一戸建ての大宮の家にはてんで戻る気がしなくなったらしいのだ。育った下町に帰った細君は、まるで水を得た魚のように元気いっぱいになったというわけなのだ。
というわけで、もう30数年を下町で暮らし、二女一男をこの細君がほとんど一人手で大きくしたといってもいいのである。勤め人の主人は、まあまじめに働いていたが、自分の趣味のホントウの「仕事」と称して、人生の大半を送ってしまったといっても、まあ、間違いというわけではないが、主人には細君の理解を超える「生活」があったのもたしかであった。しかし、それは主人自身の内奥にある、他人にも忖度できない「生活」といってもおかしくはないもので、滑稽だか、哀しいのか、余人には測りがたいことなのである。
 だが、いまとなっては、この主人の孤独な情熱はいたって平凡そのものの、人生の一景でしかないのであろう。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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