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一人のパリジェンヌ

 NHKのテレビで巴里の路地(パッサージュ)に焦点を当てた番組があった。私は変な予感にとらわれて、あの路地がでてくるのではいかと、テレビ画面を見つめていた。予想どおり、私が以前に泊まった巴里のホテル「ショパン」を見た。それは巴里でも有名な路地(パッサージュ)の突き当たりにあるので、すぐに目に飛び込んできたのだ。
 路地の右手に「ロウ人形館」があり、その隣だかに、私がステッキを買った骨董屋さんがあった。それは私の三度目かの巴里訪問に、巴里にいた娘がわざわざ紹介してくれたホテルの一つであった。私はカメラがそのホテルのフロントを写すのを、目を凝らして見ていると、アッ、いたいた! やはりあのフロントの女性はまだそこで、働いていたのである。私はなんだか嬉しかった。別に特別に親切にされたわけではなく、むしろその反対な目に遭ったのに、私の印象に残っていたのだ。
 そのホテルに泊まった翌朝、私はベッドの枕の下に一枚のコインも置かずに、街に飛び出した。たぶんちょうどいい額のコインの持ち合わせがなかったのだろう。
 その日、私は朝からセーヌを渡り、旧知の目抜き通りを歩き廻って、巴里の中心街をぶらぶらし、シャトレ広場を通ってホテルへ帰ろうと、サンドニ門を目指していたのだ。だが疲労で目はうつろ、あたまは朦朧としてどうも道がよく分からない。カフェの椅子に座りひと休みに、また、赤ワインを一杯飲んだのがくたくたのからだに廻って、余計にぼんやりとする始末で、どうにもホテルへたどり着けそうにない。仕方ないのでロウ人形館を舗道の人に訊ねて、ようやくホテルへ帰ることができた。表の扉を開けると、フロントにこの女性が座っていた。
 私は部屋の鍵を貰おうとするが、このパリジェンヌは携帯で会話に夢中である。そのうち鍵を受けとろうと待機中の私が邪魔だというように、立ち上がり入口の扉のガラス窓の前へ移動し、後ろ姿のまま会話を続行しているではないか。よほど大事な携帯電話なのかも知れないが、私は当ホテルの客であり、鍵がなければ部屋へ帰り、一刻も早く疲れたからだを休めようにもそれができない、哀れな旅人なのである。
 そのうち、この女性は私へ「どうぞ鍵は自分でお持ち下さい」というような仕草を込めた、目の合図を幸いに、自分の部屋の番号の鍵を勝手にフロントから外して、階段を上がり部屋に入りベッドに倒れ臥したのである。
 そんな因縁があるので、スラリとした背の高いこのメガネのパリジェンヌを、私はよく覚えていた。私は少しばかりいい加減な仕事ぶりと個人生活をなにより大事にするフランス人を、必ずしも嫌いなわけではない。チップを置かなかったベッドの枕は、翌日の朝に初めて気がついたのだが、香水の匂いが紛々としていた。出かけにチップを置いておれば、枕は新しいものになっていたと思われるが、そうなっていなかったのは、当たり前のフランス式のルームサービスなのであろう。
 ―漂よえども沈まず。
 これがシテ島時代からの巴里の諺だと、むかし、どこかで読んだことがあった。茫洋としていながら、なかなかどうして、したたかなフランス人魂に、これはラテン語で記されているらしいのである。
 巴里にあるパッサージュについて、書こうとして一人のパリジェンヌに惑わされてしまった。
 



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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