掌小説「傘」
雨になると女は喜んで傘をさした。傘は人目から二人を隠してくれた。
「あいつに見つかるとヤバいのよ」
そう戸惑うように女はつけ足した。
駅前の茶店で逢うとすぐにろくに話しも交わさないで二人はホテルへ直行した。
ホテルを出るといつも深夜に近かった。せまい酒場のカウンターに座ると長い髪をたくしあげ女はやっとなにかから解放されたような顔をみせ、緑の葉を浮かせたモヒートを一気に飲み干した。
「ヤバイってどんなふうにヤバイのだ」
「殺されてしまうわ」
そのきつい冗談に男は笑った。すると不敵な様子で男の顔をみた。男はその大胆な女の顔が好きだった。
「ナイフで一突きかい」
「まあそんなところね」
「兇暴だな。なにをしている男だっけ」
「よく知らないわ。家にはほとんどいたことがないの」
女が急に後を振り返った。店の窓から路地の奥がみえた。白い野良猫が闇を裂くように走り去った。
「外でなにをしている男なんだ」
男はそう聞き直した。
「知らない。そういうこと話したことがないのよ」
「おかしな夫婦があったものだ」
呆れたように男は笑った。
「ただの男と女なのよ。いまの私たちみたいにね」
女は挑むように男をみた。その鋭く妖艶な目つきに男は強い酒を一気に呷ったような陶酔を味わった。
突然男は立ち上がった。
「もう一軒行かないか」
「お酒ならここでじゅうぶんだわ」
「酒場じゃないホテルだよ。プールつきのね」
「そこで一泳ぎして朝までやりまくるっていうわけね」
男は女のますます奔放な言動におどろきそして訝しんだ。女は男のものにしゃぶりついたまま舌でもてあそぶことをやめなかった。あたかも母の乳房をくわえた乳飲み子のように。男は朝まで女に全精力を注いだが、女が絶頂に上りつめることは、ついになかった。頂上へ達しないない女は、疲れというものを知らない。男の心臓は呻きだし、腰は軋み悲鳴をあげるばかりであった。一閃、男の欲望の底から殺意がひらめくのを感じた。それが女の究極の願望であるとでもいうように。
まだ朝の暗いうちにホテルをでた。駅へのぼる階段のしたで、男と女は背中を見せて左右に別れた。
夕方のニュースに女が男に殺された事件が報じられた。どうした行き違いか被害者の顔が、一瞬画面に映った。青い空を背景にいま海から上がったとでもいう女の顔が、これまで見たこともない穏やかな笑みを浮かべていた。その写真の女を見た瞬間、男の全身にナイフで抉られるような激痛が走った。
雨に広げた傘の中の戸惑うような女の顔と、今朝別れたばかりの女のあれこれの仕草が、男の胸に激浪のように這い上がった。
一日中雨は止みそうになかった。
「あいつに見つかるとヤバいのよ」
そう戸惑うように女はつけ足した。
駅前の茶店で逢うとすぐにろくに話しも交わさないで二人はホテルへ直行した。
ホテルを出るといつも深夜に近かった。せまい酒場のカウンターに座ると長い髪をたくしあげ女はやっとなにかから解放されたような顔をみせ、緑の葉を浮かせたモヒートを一気に飲み干した。
「ヤバイってどんなふうにヤバイのだ」
「殺されてしまうわ」
そのきつい冗談に男は笑った。すると不敵な様子で男の顔をみた。男はその大胆な女の顔が好きだった。
「ナイフで一突きかい」
「まあそんなところね」
「兇暴だな。なにをしている男だっけ」
「よく知らないわ。家にはほとんどいたことがないの」
女が急に後を振り返った。店の窓から路地の奥がみえた。白い野良猫が闇を裂くように走り去った。
「外でなにをしている男なんだ」
男はそう聞き直した。
「知らない。そういうこと話したことがないのよ」
「おかしな夫婦があったものだ」
呆れたように男は笑った。
「ただの男と女なのよ。いまの私たちみたいにね」
女は挑むように男をみた。その鋭く妖艶な目つきに男は強い酒を一気に呷ったような陶酔を味わった。
突然男は立ち上がった。
「もう一軒行かないか」
「お酒ならここでじゅうぶんだわ」
「酒場じゃないホテルだよ。プールつきのね」
「そこで一泳ぎして朝までやりまくるっていうわけね」
男は女のますます奔放な言動におどろきそして訝しんだ。女は男のものにしゃぶりついたまま舌でもてあそぶことをやめなかった。あたかも母の乳房をくわえた乳飲み子のように。男は朝まで女に全精力を注いだが、女が絶頂に上りつめることは、ついになかった。頂上へ達しないない女は、疲れというものを知らない。男の心臓は呻きだし、腰は軋み悲鳴をあげるばかりであった。一閃、男の欲望の底から殺意がひらめくのを感じた。それが女の究極の願望であるとでもいうように。
まだ朝の暗いうちにホテルをでた。駅へのぼる階段のしたで、男と女は背中を見せて左右に別れた。
夕方のニュースに女が男に殺された事件が報じられた。どうした行き違いか被害者の顔が、一瞬画面に映った。青い空を背景にいま海から上がったとでもいう女の顔が、これまで見たこともない穏やかな笑みを浮かべていた。その写真の女を見た瞬間、男の全身にナイフで抉られるような激痛が走った。
雨に広げた傘の中の戸惑うような女の顔と、今朝別れたばかりの女のあれこれの仕草が、男の胸に激浪のように這い上がった。
一日中雨は止みそうになかった。
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