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「地中海の感興」ポールヴァレリー

 「コンニチワ ドウゾヨロシク オネガイシマス」
玄関から丁寧な日本語が聞こえた。立派な紳士と婦人のお二人の来訪であった。
客人は遠くフランスから日本へ初めての旅行に来た娘の夫のご両親であった。息子が結婚した娘の国へ是非行きたいというお母さんの希望は以前から聞いていたが、それがお二人での実現となったのだ。
 玄関に聞こえた第一声の流暢な日本語が私を不意打ちした。事前に用意していたフランス語の挨拶はたちまち雲散霧消してしまった。私は初対面の挨拶もそこそこに、目前の紳士と婦人の出現におどろき、娘と旦那による周到な事前準備にめくらまされてしまったのである。あとは若い二人の機転ある仲介のお蔭で、事はあれよあれよと滞りなく進捗した。上野の料亭の一室に小さな孫を交えて寄り合い会食をし、翌朝、ご両親が泊まっていたホテル前で握手を交わしお別れをするまで、流れるような時間はあっという間に過ぎ去ったのであった。私はこれまでヨーロッパに旅行した一時の経験はあったが、長く滞在して生活をしたことはないので、欧州の国に生きてきた人間と交流した体験というものを持ってはいない。ただかの国の知識人の著作等からその生活を推測し判断をしてきた東アジアの人間でしかないのであった。だが目前に存在する客人の挙措と風貌その佇まいから察するに、その落ち着いた悠揚迫らざるお二人の姿は、私の印象に残ったのであった。これこそその背後にヨーロッパの精神と歴史を持つ表徴ともいうべきものにほかならないからである。世界を席巻する英語などはフランス語をまえにその影を失い、娘と旦那二人の介添えによるささやかな接待を済ますことができ、遠い国から来訪したご両親に相まみえる機会を得たことを、いまはただ感謝するばかりなのである。
 さて、むこうのお父さんから戴いたお土産を開けてみたところ、それはガリマール社が1927年に発行したポール・ヴァレリーの「旧詩編」(ALBUM DE VERS ANCIENS)と「若きパルク」(La Jeune Parque)という感嘆すべき貴重なる詩集二冊であった。「旧詩編」には「紡ぐ女」(LA FILEUSE)以下18篇の詩が収められている。これらの詩は私が昔日、筑摩書房のヴァレリー全集で読んでいた懐かしい青春の記憶を甦らせるもので、当時フランスで刊行された原書そのものであった。一冊の表紙の裏に、献呈の日付け「2016.11.21」とお二人のお名前が記されてあった。
 私は大いに喜んだところだが、どうしてポールヴァレリーの詩集の原典を探してまで土産に持参してくれたのであろうか。そうして私が思い当たったのは、数年ほどまえに娘にヴァレリーの生地であるセットの港町にある「海辺の墓地」への訪問を依頼したことを思い出したのである。娘はヴァレリーの生地へ訪れ、あの地中海を望む海辺を詠んだ有名なセットとヴァレリーの墓地を撮した写真と葉書を送ってくれたのであった。
 偶然に、私は昨年の秋から、ヴァレリーが学んだモンペリエ大学の語学学校へ行く計画を秘かに立て、その手配を始めていたばかしであった。以前よりヴァレリーが若き日々を過ごした彼の地で過ごす夢をみて、その準備に私は余年がなかったのだ。その夢は私に希望を与えてくれた。しかし、熱病のようなその夢は私の身体を次第に憔悴させていたことも事実であった。妻は私の決心に半信半疑ながらその準備に協力をしてくれていた。私は罹り医に相談し、医者も私の夢に賛同し嫉ましい思いを漏らしてくれさえした。だが古稀まじかに懐いた冒険的な夢を知るはずもない娘達は、彼の地での私の健康に不安を懐いた。それは当然なことであった。なぜなら、老いゆく身体は実に正直にその予兆を私に知らせずにおかなかったからだ。内金まで払ったフランスでの留学生活、地中海を望むフランスでの私の夢の生活は、とうとう断念を余儀なくされたのである。こうした或る一夜、啓示的な「地中海」の夢を私はみたのである。それはヴァレリーが瞑想し、賛嘆する欧州へと開かれた「地中海的精神」という啓示をもたらすものであった。
 私は筑摩のヴァレリー全集から「地中海の感興」が収められている一冊を、あらためて再読した。訳者は吉田健一であり、本に挟まれた「月報」に、吉田氏は「ヴァレリーのこと」という一文を寄せて、その最終行は氏らしき文章でつぎのように結ばれていた。
「ヴァレリーが死ぬ少し前に、aprés tout , j ai fait ce que jai pu , ・・・・と書いていることを知った。それでいい訳である。ヴァレリーは『精神の政治学』か『知力の危機について』のどちらかで今日の人間に現在というものがないと書いているが、彼の作品では凡てが現在である」
 これはなんと「時間」について瞑想した吉田健一らしい文章であったろう。また同「月報」には、佐藤正彰が「ヴァレリーと国際連盟」を書いている。私は昔日、佐藤氏のこの一文により、国際連盟が一九二二年に知的協力国際委員会を設け、ベルグソンを議長として発足し、ヴァレリーはその委員となって、以後ほとんど毎年この委員会のためにジュネーブに行っていたこと。そして、この委員会は作曲家のバルトーク、作家のカレル・チャペック、トーマス・マン、詩人のメースフィールド等が参加していることを知ったのであった。
 今日、この「国際連盟」は第二次大戦を経て「国際連合」として発展してきたことは周知の通りである。そしてヴァレリーが「地中海の感興」で称揚していたものが危殆に瀕している現状を思わないではいられなかった。それは事物の尺度たる人間、そして三つの大陸に囲まれた地中海がもたらした知的な財産、多民族の競争の結果うまれた富というものであった。
 ヴァレリーは「地中海の感興」において書いている。
「かかる狭隘な地域において、また、これほどに短い間に、このように人間の精神が発酵し、これほどの富が産せられたということは、地中海に措いては世界のどこにも、未だかつてなかったことなのである」
 そして、世界の今日を顧みるとき、かくも明澄なる知性への信頼と希求が再び崩れさろうとしていることを慨嘆しないでいられるであろうか。ギリシャ以来の連綿たる欧州の歴史と伝統は一体どこへ行こうとしているのであるかと・・・・・。
 ポールヴァレリーが地中海を前に瞑想し、ワインを献じ注いだ海は、どこへ消えゆこうとしているのであるか。そうした疑惑にとらわれない精神というものを想像して、私はひとり暗澹としたのであった。地中海に接した三つの大陸はいままた狭隘なる夢魔を見始めているのではないか。ヴァレリーが思索し、信頼しようとした普遍的な理念は、今日、千々に乱れて四散しようとしているからである。
 私は土産に頂戴したヴァレリーの二冊の詩集を机上に置いた。そして、「若きパルク」(La Jeune Parque)の詩集へ眼を落とし、最初の三行を読んだのであった。

Qui pleure là, sinon le vent, simple, à cette heure
Seule avec diamants extrêmes ? ....Mais qui pleure,
Si proche de moi-même au moment de pleurer ?



セット ヴァレリーの生地 DSC_0223 (2) 詩集「若きパルク」 

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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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