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京都「武徳殿」へ旧友と旅す

 鴨川をどりを京都の先斗町で観た。友人がこの鴨川おどりを観よう言ってくれなければ、京都の武徳殿まで行くこともなければ、鴨川おどりを観ることもなかったであろう。高校時代からの長いつきあいであった。昨年の夏に突然のように、学生時代の友人をなくし、その淋しさは言いようもないので、旧交をあたためるられるならばいかなる機会も逃したくなかったのだ。この世の友人との縁とはなんともふしぎなものである。かつて友というものについて一考を巡らせた秋山駿という文芸評論家は、その中に天皇や同盟国までも含ませていたのに一驚したことがあったことをふと思い出した。
 さて、踊りの幕がおりての口上によれば、京都から天皇がいなくなった寂しさに、明治5年から始まった鴨川をどりは今年で180回を迎えたということだ。平成の天皇が退位の意向を示して、憲法上の論議を呼んでいる最中である。行きの新幹線の中で読み始めた「近代天皇論」(片山杜秀・島薗進)の対談を興味深く読んできたところであった。芝薗氏は「国家神道と日本人」で既知の学者であった。片山氏は丸山真男の「戦後民主主義の虚妄」に自分も賭けたいとし、二人の共通した姿勢には、近年台頭する宗教的ナショナリズムへの警戒心が去来するようであった。
 さて、話しを京都へもどす。鴨川をどりの舞台は先斗町の狭い路地にあり、階上に二人の舞子さんがはべり美味い茶を淹れてくれた。裏から鴨川の流れが眺められ格好な場所にあった。高瀬川のせせらぎが近間にあり、居合をやっている私たちは先斗町のこぜまい路地を歩いて、幕末浪士の斬り合いを夢想さえしたのであった。命がけで憂えるものを持っている人間は果たして幸せなのか不幸であるのか知るよしもないが、先斗町の散策はこの上もない気晴らしであった。
 四条大橋から祇園へそぞろ歩き、裏道で一軒の茶屋に上がって座敷で色白なお姉さんに茶を煎じてもらいながら花街の茶屋についてのお話しを伺った。これで私たちは一見さんではなくなったらしいのである。備前の焼き物が座敷にひろげられていたので、その中から金継ぎの小さなお猪口を一個買い求め、八坂神社に参拝して再び祇園の界隈を散歩をしたあと「菊水」で夕食を摂ると、京都駅に近い宿泊予定のホテルへとタクシーで直行してもらった。古稀をすぎると無理がいかぬことを正直にからだが教えてくれるらしい。
 ひさしぶりの四方山話のあと、私たちは熟睡したのであった。地下街のレストレンで軽食をとり、電車へ乗って武徳殿へ行った。5月の陽光がふりそそぐ洛外を歩き大きな鳥居をくぐるとそれらしき建物がみえた。すでに丈道の演舞がおこなわれていた会場に腰をおろし居合いの演舞を待っていると、やがて新潟の範士八段の演舞が披露された。後方からしか演舞を見ることはできなかったが、その気迫ある演舞は武徳殿という舞台を得て、すずやかな美光を放って須庾の間に眼前を擦過した。なんという凄然たる演舞が殿中の床をすべり白刃は空を舞ったことであろう。私はじわりと積もる疲労にも拘わらず、一糸乱れぬ名人の演舞に時の経つのを忘れていた。
 古都はいつ来ても自分を癒やしてくれるところながら、憔悴はじわりと私の嚢中をめぐり眩暈にしきりと襲われる。私は蹌踉として京都駅の土産物売り場の前を歩いていた。そこで一瞬見覚えのある人の顔を認めてハットした。最近テレビでよく見かける天皇退位の有識者会議の議長である御厨氏であった。単なる偶然に過ぎなかろうこの出会いに私は英語のCOINCIDENCEという単語を思いうかべたほどだ。偶然は単なる偶然ではないのかも知れないとは誰もが考えることであろう。京都観光を控えた友人と別れ、踵を返して車中の夢のまどろみから逃れるかのように、あてどない帰路を私はいそいでいた。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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