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掌篇小説「花火」

 花火は近くで見るものではない、とわたしが思うのは、そんなふうに子供の頃みた花火にろくな思い出がないせいだろうか。
 両親に連れていってもらった多摩川の花火大会。駅をおりてから川べりまでの大混雑、スピーカーからしぼりだされるお巡りさんの声、足を踏まれやしないだろうか、両親にはぐれて独り迷子になりやしないだろうかと、つまらぬことに小さな胸をいっぱいにし、ワーッという喊声に夜空を見あげても、人、人、人。たまさか見える花火といえば、妙に大きく威勢がいいだけで、わたしの胸の中を、眼も覚めるほどの鮮やかさで花ひらき、たちまち闇夜にかき消えるが、その瞬間の円くはじけ飛ぶ光芒のひろがりによって、わたしを息づかせ活をあたえてくれるあの絵に描いたような花火は、どこにも見ることはできないのだった。
 そんなわけで、花火は遠くから眺めるにかぎる、とまあそんな考えだけでもないのだが、隅田川の花火大会が解禁されてから、わたしは二階の屋根の上にある物干台から、子供たちと一緒に毎夏の花火を楽しむことにしている。
 今年は七月**日と決まったが、例年になく冷たい夏とやらで天気はぐずつき、心配していたとおり夕方から雨が降りだした。
「やっぱり降ってきたぞ」
「花火、やるのかしら。もうみんな集まってるんじゃない?」
 台所の片づけをしながら女房も心配顔で、開き放たれた玄関から、路地裏におちる雨足を眺めている。そのうち、一発、二発と、くぐもったような音が湿った空に響いた。
「や、やるぞ。やるぞ」
 テレビのスイッチをひねると、画面に会場からの生中継が写し出され、小雨の中で花火大会は決行される由。
 わたしはレインコートに傘を二本持ち、子供たちを連れて、物干台へ上がった。急勾配の木の階段は雨に濡れているので、滑ってはいけないと、二人の娘を一人づつ抱いて上がる。
 二つの傘を開き、竿にひっかけて屋根を作り、椅子まで担ぎ上げて見物席をつくる。花火は遠くから眺めるものなのだが、雨の中の花火は暗い夜の空に滲んで、夏の空を色どる晴れやかさがない。雨はいぜんやまない。近隣のビルの屋上や屋根の上には、これもまた花火を見ようとする人の動きや、子供たちの喊声が聞こえはするが、その数も勢いも、いつもの花火大会とは較べようもない。去年みえた真向かいの屋根の上にも人影がなくひっそりとしている。雨では足元が悪く、容易に屋根の上まで登ることはできないのだろう。去年はたしかあの屋根の上で、いつも大声で喧嘩をしている夫婦が、花火をみながら腕を組み合っているのを目撃し驚いた記憶があるのだが・・・・。
 それでも雨の中を花火は、花火職人の心意気を示すかのように打ち上げられた。物干台から見える花火は、コンクリートのビルに消え、ひしめく屋根に遮られながら、中空の夜の深みに花開く。年々すこしづつ物干し台からみえる花火の数は、次ぎから次ぎへと建つ高層ビルのために減りつつある。一昨年、言問橋の辺りからあがる花火も見えたような気がするのだが、昨年はそれも見えなくなり、今年は蔵前橋からの花火のみになってしまった。いずれこの下町のひしめきあって軒を並べる木造の屋根の群棲は、きれいさっぱりに姿を消すであろう。花火などという前近代的なものの美しさに詩を感ずる日本人の心も人々から拭い去られるであろう・・・。多摩川の花火大会の雑踏を母と一緒にわたしの手を引いてくれた父はいま、悪性の病に倒れ、病院のベッドに臥している。この春、町内の祭りに母と一緒に訪れた父であった。何処かの屋根の下で電話が鳴っていた。わたしはふと耳を澄ます。
 あれは妙な声だった。弟の電話だと気づくまで、わたしは自分の耳を疑った。
「・・・・あのね。親父はもうだめだよ・・・・」
「えっ、なにがだめだというの?」
「癌なんだ。どうしようもない。手遅れなんだよ」
 ふと穴が空き、わたしのなかになにものかが広がった。それはついに来たかという強い感情だったが、その感情はみるみるうちに、怒りとも悲しみともつかない色彩で染め抜かれていった。
 わたしはすぐに母のことを思った。
「おふくろは知っているの?」
「まだだ・・・」
「そうか。どこから電話をしている?」
「二階。おふくろは下にいる」
「わかった。電話はきるよ」
 あまりに早すぎると思った。親父はどんな顔をしているだろう。そう思うと、あまりにあっけなくこの世から去らねばならない父が哀れでならなかった。
 女房が物干し台から降りたので、わたしは下の娘を膝にのせてやった。雨は止みそうで止まなかった。つぎつぎと打ちあがる花火は、空に滞留する煙りが邪魔になって、その全部を見ることができない。それでも炸裂する大きな光りの輪は、一瞬夜空を鮮やかに色どり昼のように明るくした。赤、黄、青。花火が空を焦がすたびに、子供たちは感嘆し、手をたたいて喜んでいる。
「テレビのほうがきれいよ」
 女房が下から顔をだした。テレビの実況中継をみてきたらしい。
「テレビなんてつまらないさ」
 わたしはこの物干し台から見る雨に濡れた花火が、寂しいけれど気に入りはじめている。雨にもかかわらず大会を敢行した主催者や、この雨の中で、あげづらい花火をあげようとする花火職人の心意気を買うのだ。隅田川の花火大会が下町に戻ってきたのはいいことだ。
 夏の夜空に打ち上がる花火ほど下町的なものはない。群衆の中、密集した家々の間を、「せーらせーら」と神輿をかついでねり歩く祭りと同じように、大輪の花火はたとえ雨に濡れようと、その夜の空を束の間人々のものとするのだ。
「・・・わたしたちがついていて・・・それが悔やまれてならない」
 父のことを告げられ、母は残念そうに言った。わたしたちはいったい父のどこについていたのだろう。一人黙々と働き、定年後はほんの少しのんびりとすごしたとはいえ、そのときわたしたちは父を忘れてしまったのではなかろうか。成人した子供たちにとってすでに父は無用な者になるのか。家庭とはそういうものなのか。「父」はそれを甘受せざるをえない。そして母は子供たちにとっていつまでも「母」であるのはなぜであろう・・・・。
 上の娘はむずがりはじめた。眠たくなったのだ。女房が上の娘を連れて階下へ降りると、わたしは下の娘と物干し台に二人きりになった。花火が途切れると、夜はやはり暗かった。その空の一方を見つめる膝の上の子供の眼にもどことなく不安が漂う。わたしは花火が打ち上がるのを、いまかいまかと子供を抱きながら待っていた。するとこれが最後というように、大輪の花火がつぎつぎと花開いた。
「あれひろこの花火?」と指をさす。
「ひろこの花火は黄色ね。お父さんのは?」
「お父さんのは青」とわたしは答える。
「お父さんの花火は大きいの?」
「そう。お父さんの花火は大きい」
「ひろこのより大きい?」
「そう。大きいよ」
「お母さんのより?」
「お母さんのより大きい」
「ふーん・・・・。ひろこねむい。お母さんのところへいきたい」
 夜空は明るくはぜている。花火はもうすぐ終わるだろう。






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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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