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パンの会

 隅田川をパリのセーヌに見立てて、青春を謳歌していた一群の文人がいた。明治40年代で「パンの会」と称していた。ここで谷崎潤一郎は永井荷風に邂逅するのだが、その子細は「青春物語」に記されている。木村荘八の「パンの会」という油絵にその一景をみることができるが、谷崎の「青春物語」ほど当時の情景を活写した文章はないので、そこからその一端を映し出してみる。できるなら全文を引用したいのだがそれは無理なので、ほんのそのさわりだけとなるのが残念なところだ。
「私は会場に充満する濛々たる煙草の煙と、騒々しい人声の中をうろつきながら、誰彼の差別なく取っ掴まえては気焔を挙げた。勿論私ばかりではなかった。」
 こうした青春の焔の渦中にのっそりと現れた人間を谷崎はつぎのように書いている。
「そのうちに一人、痩躯長身に黒っぽい背広を着、長い頭髪をうしろの方へ油で綺麗に撫でつけた、二十八九歳の瀟洒たる紳士が会場の戸口に這入って来た。彼はその顔の輪郭が俎板の如く長方形で頤の骨が張り、やや病的な青く浅黒い血色をし、受け口の口元にだだっ児みたいな俤を残していて、黒い服とひょろ高い身の丈とが、すっきりしている反面に、何処かメフィトフェレスのような感じがしないでもなかった。『永井さんだ』と、誰かが私の耳の端で云った。」
 この谷崎の「『パンの会』のこと」の一文は、永井荷風と谷崎の出逢いもさることながら、その出だしの「柳橋」という下町へのこれまた下町ッ児であった谷崎の賛歌のこもった文章にまた魅力があるのだ。
「そう云えば、『亀清』で思い出したが、浅草生まれの久保田君が公園から竜泉寺界隈の地域に憧れを抱いておられるが如く、当時われわれは、人形町、浜町、両国、柳橋附近の空気にノスタルジヤを感じていた。これらの土地は、木村にも、後藤にも、私にも、皆それぞれの『たけくらべ』の舞台であって、幼時の淡いなつかしい追憶と結びついていた。分けても柳橋から代地河岸に至る色町は、不思議に甘い魅力をもって青年時代のわれわれを惹き着けた。一体柳橋というところは、その頃の文人の詩情をそそるものがあったと見えて、独身時代の小山内薫氏、洋行前の島崎藤村氏なども、暫くあの辺の閑静な横町に借家住まいをされたことがあり、帰朝後の永井荷風氏も、茶の湯や清元お稽古に通われた時代に、やはりあの町の小意気な家に世を侘びながら、藝者屋と軒を並べて住んでおられた。」
 いまから想いも及ばない景色を谷崎はあつい筆で描きとめているのだが、その背後にふと添える大川の水の眺めが点綴されるのが床しいところだろう。
 先夜、永井荷風の「すみだ川」の朗読の全編を聞くこと得たが、こうした墨堤界隈の自然と人情の渾然いったいとなった名文を耳で聴く喜びはなんともいいようのないものであった。
 終わりに、吉井勇の処女歌集「酒ほがひ」(明治四十三年)から、「PAN」と題する連作から一首を載せておこうか。「ほがひ」の意はむずかしいが、歌集全句から判断するに、「寿ぐ」という譯にとっておきたい。

両国の橋のたもとの三階の窓より牧羊神(パン)の踊り出づる日




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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