FC2ブログ

「いろおとこ」里見敦

 昭和55年刊行の日本ペンクラブ編の文庫本に丸谷才一選による「花柳小説名作選」がある。この選中に里見敦の「いろおとこ」(昭22)という眇たる短編がひそんでいたのだが、読み逸していたのかとんと記憶になかった。覚えているのは大岡昇平の「黒髪」(昭36)と野口冨士男の「なぎの葉考」(昭54)の二篇ぐらいであった。特に後者は「・・・・お願い。もうこれきりで帰っておくれやす」という娼婦の哀切な声として、また、もう一篇の「黒髪」では、最終行の「尼さんになるには、どうしたらいいでしょうか」という女性の文句で、この短編はやはり昔に一読した大岡の長編「花影」(昭59)へと流れ込んでいくものと思われた。
 そして最近のこと、図書館から借りた「近現代作家集Ⅱ」(池澤夏樹編集)に、むかし逸した里見敦の「いろおとこ」という短編を読む機会があった。「なぎの葉考」が「私」小説であるとすれば、この「いろおとこ」は「公」小説とでもいうべきものであろう。公と私には特に意味があるわけではないが、とりあえず付加しておきたい。
 作中では一切名前は語られていないが、「赭顔で、髭の剃りあとの濃い、太兵肥満の六十男」なる人物は、やがて最終章になって次第に明らかになるように、海軍軍人、連合艦隊司令長官の山本五十六その人なのである。その男が芸妓を伴い山の温泉宿に二泊三日の時を過ごしている。その芸妓との飄逸な会話と男の逞しい性欲の裏にわだかまる沈黙とを、交々に語り取って見せた快作だと思われるものだ。なぜ「公」小説などと敢えてつけるかというのは、この男が背負っているものが海軍軍人としてやがて真珠湾攻撃の最高指令、即ち米国への宣戦布告だからである。そうとは知らず、芸妓から詰られ笑われるこの男の不可解な緘黙(だんまり)の原因は、勝ち目のない戦争と判っていながら、最高指令長官としてそれを実行せざるえないことにあった。
「赭顔で、髭の剃りあとの濃い、太兵肥満の六十男は、障子の小端に背を寄せ、両膝を擁へ込むやうにしたり、急に居住まひを正したり、また片胡座に組んだり、敢て沈思黙考といふ様子でもなかったが、倦まず撓まない無言は続いてゐた。鋭く光る目を半眼に鎖し、一文字に堅く脣を引き結んで、石でも噛み砕きさうな顎には、時おり瘤のやうな肉塊がグリグリと動いたりした。」
 米国へ留学経験を持ち、ロンドン軍縮会議にも参加した山本は海外事情に詳しく、最後まで日米開戦に異を唱えていたという。それにも関わらず開戦の先陣を切らねばならない。その胸中を思えば如何ばかりの葛藤がこの男を苦境に立たしめていたかは想像に余あるものであろう。だが、里見敦なる作家は、この短編に上記のような切り詰めた外面描写しか行わず、男の内面には一切触れようとはしないのだ。それどころか、芸妓と六十男との剽軽な会話を重心に推移させようとしている。
「ほんとにこれンばかりも可愛げなんてない、いやないろおとこ!」
 こうして芸妓からの男への視点はつゆとも動くことはない。
かくて女は「その日その日を面白おかしく暮らし、いつかあの男の記憶も薄れて行った。」と書いている。
里見敦の筆は「花柳小説」の域を脱すること決してないのである。更には、この小説をつぎのような文章で終わらせることになんの逡巡も見せることはない。なぜなら、里見敦の「私」と「公」との関係には、一点の乖離もないからである。
「四月、華々しい戦死を遂げた男の遺骨を奉じて還った下役の者から、英雄の最期に適しい、現場の模様を聞かされた。・・・・・・。ほどなく、盛大な国葬が執り行われた。戦争中、民心がほんたうに一丸となったのは、彼の提督に対する愛惜、追慕の念くらゐのものだつたらう。・・・・・・・・。一時は香煙を絶たなかった西郊多摩なる墓所に、いま夏草が茂ってゐる・・・・。」

 1959年に文化勲章。鎌倉で95歳まで生きていた。
編集者の池澤夏樹は注している。「その作風は、自分の心に率直に従う『まごころ哲学』と呼ばれる」
 



関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード