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モンテーニュの銅像

 パリへ行くと自然と足が向くところがある。ソルボンヌ大学まえの、小さな公園に座っているモンテーニュの顔をおがみにいくのである。
 学生のころ、関根秀雄訳の「随想録妙」を文庫で読んでいたが、三十過ぎに腰椎分離症で入院中に、世界の名著で再読した。まだ、娘二人が五、六歳の頃(その時、妻は息子を腹に抱えていたのだ)に、この二人の娘が病室に来たときの光景をまざまざと思いだす。整形外科の六人部屋に、「お父さんはどこ?」という、娘たちの声が聞こえるや否や、二人の娘が喜びいさんで病室へ駆け込んできた。目をキョロキョロさせ、ベッドにいる私を見つけた娘たちの、あの嬉しさに輝いた、ちいさな可愛いい顔をいまでもはっきりと覚えている。あの一瞬の時を、いまこの場に取り戻すことができるならば、私はあと一年ほどの時間の外、残余の老年の人生のすべてを棄て去ってもかまわないと思うぐらいだ。すぐその後に生まれた息子についても、そんな場面が幾つかあるが、いづれにしても子供たちの記憶には残っていない私だけが思いだすことのできる至宝の時なのである。若い男親は家族の暮らしのたつきを得る毎日と、おのれの人生の「夢」を追いかける二重の生活に忙しかったから・・・。
 還暦ちかくに、生まれてきた孫が目に入れても痛くないほど可愛いいのは、孫のなかに自分の子供への愛情ーそれはいつも不足しているのだがーが新たに更新されることの、人間生命の喜びなのにちがいない。老いていく人間だけが、消えつつあるおのれの命のよみがえりを、あたかもキリスト教徒が「復活」を信じるかのように、そこに見るのではないのだろうか。時折、孫を自分の息子や娘の名前で呼び間違えるのは、単純な間違え以上に、生命連鎖の無意識の発現なのではないかと思われることがある。
 話しが脇道にそれたが、モンテーニュにはそんな記憶がまとわりついてくる。一冊の本はそれだけにとどまらずに、そのときの人生の風景と一体となっている。どんなことが書いてあったか、そんなことは忘れてしまった。私は思想家でも学者でもないのだ。ただ、彼は三十九歳でボルドー市長を辞し、自分の城の書斎へ隠遁しながら、農地の経営を行い、好きなところへ旅行し、一冊の「エッセイ」を生涯にわたって記して、五十代の半ばで亡くなった。書き、書き直し、書き改めた、この一書から、なにを得るかは各人各様だろう。懐疑的な思索と頑健な情熱と中庸な生活智と観察のマグマ(混沌)だ。
 「後悔について」の一節にこんな文章がある。
「私は自分を一様に示したい。もしも、もう一度生きなければならないなら、これまで生きてきたように生きたい。私は過去を悔やみもしなければ、未来を恐れもしない。・・・老年はわれわれの顔よりも心に多くの皺を刻む。だから年老いても、酸っぱい、かび臭い匂いのしない心というものはめったにないし、あるとしてもまれである。人間は成長に向かっても、減退に向かっても全身で進む。・・・毎日、何人もの知人の上に、老齢がどれほど大きな変貌をもたらしつつあることだろう。老齢は強力な病気であり、自然に、知らないうちに進んでゆく病気である。・・・私はあらゆる塹壕を掘りめぐらしているにもかかわらず、それが一歩一歩、私の上に迫ってくるのを感ずる。私はできる限り抵抗する・・・」(原二郎訳)
 「自分」について、こんなに頻繁に、さまざまな角度から見ようとした人間はいないだろう、と小説家のアンドレ・ジイドが、彼を論じた文章で言っている。あまりに鋭いジイドの批評精神よろも、私はモンテーニュの貪欲なまでの人間性から洩れてくる、野太い声を聞くのが好きなのである。末期に臨んで従容と死んでいく農民を賛嘆するモンテーニュという、土の匂いのする彼を愛するのだ。キケロだとかなんだとか、彼は一流の知能をよく引用して弄んだが、彼の知性はただの普通のフランス人の肉体に宿り、ボルドー生まれの一個の人間の声で語ろうとしたに過ぎないだろう。
 いつだか、ある新聞に私が寄稿した詩があったのを思いだした。ボナールの絵を見たときの感想に、モンテーニュが顔をだすので、それを載せておこう。

          ボナール
 
見るとは 幸福になること/ なにも見えなくなるほどに
水の畔にこころを泳がせ/ 白昼の猫のように微睡むこと
池にうがぶ雲とともに光に酔い/ ひとひらの庭の花のように覚めていること

ボルドー元市長/ 城館の隠者/ ミシェル・ド・モンテーニュの
ー我々ノ魂ノ最モ緊張シテイナイ、最モ自然ナ態度ガ最モ美シイ
という言葉のとおり

だが それは/ ナント困難ナコトデアルコトカ
                                         詩集「カモメ」より
 
 
 ソルボンヌまえのモンテーニュの顔は、いつ見ても、堂々と優雅に、穏やかな微笑をうかべている。しかし、彼の温顔の心に刻まれた皺を、誰がのぞこうとするだろうか・・・・。






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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