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お医者さん

 藪医者ということばのむこうに、土手医者というのがあるらしい。土手にはもうその先がないのだ。どこの病院のどの医者がいいかということは大事なことである。それが患者にとって、健康と金銭に、そしてまかり間違えば命に関係するからだ。お医者さんという優しいイメージを転換させたのは映画「白い巨塔」だろうか。社会派の小説は、社会の’悪’と’恥部’を抉って読者の興を得んとする特色がある。
 加齢で目医者に罹る人が増えている。白内障で手術を受けた母は、視界が見違えるほどの良くなったと昔よろこんでいた。そうかと思えば、手術をしたばかりに余計に見えづらくなった人もいるから、世の中は様々である。二十歳の従兄弟が失明するところを網膜の手術で全快したことがあった。幸運にも網膜の提供者がいたからであった。お茶の水にある大学病院の眼科で手術を受けたにもかかわらず、手術前より目が見えづらくなったという話しを聞いた。手術後に検査に行ったところ、左目とまちがえて右目を検査されたという。眼科では医者は診察を行い、検査は専門の者がやる分業をしている。医者は検査データから診察を行う方式となっている。検査の指示は医者が出すので、その指示が間違っていたそうである。医療ミスはよく聞くが、本人確認では済まない場合もあるだろう。手術の結果、以前にはなかった曇りが目の中にできて視界がぼんやりと見えづらいと医者に言ったらしい。「まあ様子をみてください」ということであった。三ヶ月が経ち、半年が経っても手術をしての良い効果はなく、それどころか術後しばらくして目の端が攣れてきた。いつも見ている自分の顔のそれも目の近辺の変化に気がつかない者はいない。それを医者に伝えたが、皺かシミでしょうと簡単に気にもされず、とりつく島がなかったらしい。目の曇りは霽れることはなく、以前に遠くに見えたマンションがそのせいでハッキリとしない。医者の口からは「曇り」ということばは一度も発されないまま、ただ様子をみてと言われるばかりで、その場しのぎの医者の誠意に呆れたので、やむにやまれず担当医を替えてもらい診察をしてもらった。新しい医者は診察するとすぐに「曇りがあります」と率直に指摘してくれたという。それ以降は、手術の医者も「曇り」があることを認めざる得なくなったが、そうした曇りはレザーで直すことが出来るとのお奨めがあったそうだ。ただしレザー治療はお金と時間がかかると付け加えた。その後思案の末に、患者がレザー治療の話しを切り出したところ、あれは駄目ですとその医者は意外なことを言った。どうしてでしょうと質すと、効果が期待できないと言うのであった。そのとき、手術中にたしかに耳にしたその医者の鼻歌を思い出したという。目の手術の緊張を和らげようとの配慮からと思われた鼻歌の話しをすると、「120㌫、そうしたことはあり得ない」と言われたということだ。これ以上当該病院への信頼をもてなくなった患者は、最寄りの診療所から別のT大の病院を紹介してもらった。紹介状から事情を知ったT大の医者は微苦笑をうかべ、やはり様子をみてくれというだけであった。紹介した町医者へ戻ると委細を聞かれたが、そこでも体よく追い払われてしまったという。因みに二つの大学病院での裸眼の視力は、手術をした医院では左が0.8右が1.2、T大のほうでは0.3と0.8であったという。裸眼の検査値でこんなに数値が違うのはどう考えてもおかしいと、親しい人の家への訪問のおりにこぼしていたということだ。実に医者の世界は奇怪なところである。これは眼科だけの話しなのであろうか。
「赤ひげ診療譚」(山本周五郎)の「仁術」などは、昨今ではどうやら死語となったらしいねと、友人へ語ると、社会派小説の愛好者であった友人は広げていた新聞をテーブルに投げ出し、「政界も産業界も今の日本はひどいものさ」と、愛猫を抱いて庭に出てしまったという。庭から「チュウー」と妙な猫の啼声を聞いたが、あれはほんとうに猫だったのだろうかと、首をひねっていた。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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