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カンツオ―ネを歌う

 カンツオ―ネを8回歌う講習を受けている。声がでない。大きな声が口からでていくのがカンツオ―ネを歌う喜びなのに、それができない。なんとももどかしい。講師のボイストレーニングは段階を踏んで、熱心に細かな指導なのである。そのとおりにやろうとするが、それができない。あたまとからだが以前の自分から変化(老化)してしまっているのが自覚され、胸がしぼんでいく思いだ。歳をとり老人になっていくとはこういうことなのだと、自分がさとりだしていくのを自分で感じる。すべてに吸収力が衰えていく。それに平行して、ちょっとした場面に感激してこころが動き、涙が湧く。身体が老化したぶんだけ、心が感じやすくなっているのか、それともその厚みが薄紙のように破れやすくなっているのか。一冊の本を持続し集中して読了することがほとんどできなくなった。それなのに、好奇心と知的な欲望だけは見苦しいほどにあって、書物をつぎつぎとネットで購入してしまう。だが読んだものが自分の身につくことがそれほどにない。場合によっては、忘れてしまうことが多い。一日がアッという間に過ぎていく。ジックリと時をすごすことができない。フェルマータをまえにした老人の焦りなのか。自分のなかから自分の中心がどこかへ消えてしまったような気分で、光が絞られていく気分だ。
 ボイストレーニングの話しに戻そう。
 歌う声をだすには、肺のなか一杯に空気を吸い、それを声として響かせて外へだすのである。上は鎖骨から下は鳩尾まである肺に空気をいっぱいに吸い、その状態をキープして途切れることなく、口の中、鼻の中、鼻の付け根、あたかも額にまで響かせるかのようにして、声をまっすぐ前に、あたかもローソクの火を吹き消すように出すのである。膨らんだ肺より下に下がった横隔膜を、そのまま下にしたまま、ブレスコントロールをするのだ。口はパクパク開けずに、舌の後部をもりあげ、下顎が耳たぶにつくかのように、全身をひらいた自然体の解放状態で、上あごを使って息を流し続けるのである。顔の筋肉を硬直させず、だらしないくらいの顔つきで、外人がアルファベットを発音するときのように鼻の空洞へ声を響かせて、喉ちんこをふるわせ、自分の声という楽器を鳴らすのである。
 こうして、O sole mio(オー・ソーレ・ミーオ)、La Novia(ラ・ノヴィア・涙の結婚)、Turna a Sorriento(帰れソレントへ)、Nel blu dipinto di blu(ヴォラーレ)の4曲を歌うのである。
 ああ、ナポリのあの青い空と爽快な空気。気楽に生きている人々の明るい顔。それらが懐かしくてならないのだ。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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