FC2ブログ

小説の読み方

 日本語が読めるなら、誰でも小説を読むことができる。そう思ってきたが、これが意外に難しいと分かってきた。たとえば、バーナード・マラマッドというアメリカの作家の書いた「レンブラントの帽子」を日本の小島信夫・浜本武雄・井上賢治が翻訳した日本語で読んでみた。本の帯に「こころにしみわたる短編」とあった。
 ニューヨークの美術学校でのことだ。その地階にあるアトリエから自分の実習室へ行く彫刻家へ同僚の美術研究家が声をかける。彫刻家がかぶっていた帽子がレンブラントの帽子そっくりだと言ったのである。それ以来二人の仲にいわく言いがたい疎隔がうまれて二人はくるしむことになる。
 マラマッドという作家はユダヤ系のアメリカ人だ。作風はロシアのアントン・チェーホフを思わせる。登場人物がすこしユニークなかげりを持っているところが違う。チェーホフの人物はもっと典型化されていて分かりやすいだろう。この短編に荒川洋治という詩人が感想を書いている。さすが詩人らしくマラマッドのことばに向かい合う姿がすがすがしい。荒川はそのことばの精密さに感嘆している。マラマッドはこの小説で、人間が普通に生きている常態へ繊細なことばで、その苦悩を孤独をうかびあがらせている。どうして「レンブラントの帽子」そっくりと言っただけなのに、以来彫刻家レービンは美術研究家アーキンに口をきかなくなってしまったのか。こうした齟齬はよくあることだといえば、そのとおりだろう。別に相手が繊細な芸術家でなくても大いにあり得ることだ。だがマラマッドという小説家はこのことを、原稿用紙30枚ほどの短編にうまく書いている。詩人の荒川さんもそう言っている。
「ルービンとアーキンが自分とたたかいながら、二人のための時を、他では得られようもないゆたかな時間を過ごしたのだ。それがこの作品のなかで、もっともたいせつなことなのかもしれない。最後の場面は、胸にせまる。人間が放つ光を見た。そんな気持ちになる」
 詩人らしく独特なことば遣いがなされている。普通の人はこの小説からこのような感想はなかなか湧かない。たしかに、二人は友人と思われる相手であればこそこの齟齬感にくるしむすがたが、その互いの感情の襞がみえるかのように書かれている。このあたりがマラマッドの独自のところだ。だがどうもうじうじとしているのではないか。以前にもマラマッドを読んだときにそう感じた。なんとなく好きにはなれない。その点、村上春樹が好きで翻訳しているレーモンド・チャンドラーのような作家と対照的だ。
 たしかあのレーモンド・チャンドラーの科白だったと思うが、こんな有名なことばを吐いている。「男は強くなければ生きられない。だがやさしくなければ生きていく資格がない」と。また、このマラマッドと対照的なアメリカのマッチョな作家、ヘミングウェイは「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」を書いている。好きな短編だ。マコーマーの勇を鼓しての最後の充実した時間に比べたら、マラマッドの二人の男はなんと隠湿な時間を過ごしているのだろうと思い、とても荒川さんが賛美する「ゆたかな時間」がどこにあるのかとの反論が湧いくる。しかしである。この二人はマコーマーのように獣に銃を向けての時間は過ごしてはいないが、我等の人生の大半はこうした煩瑣な人間関係の網の目の中で過ごされているのではないか。そのごくありふれた日常の葛藤を、精密なことばで表現し得たのはたいしたことなのである。これが小説であり小説家なのである。さすが詩人はそれを見ている。「レンブラントの帽子」の最後のことばをひろっておこう。
「ある日、アーキンが便所に入っていくと、鏡に見入っているルービンの姿が見えた。彼は白い帽子をかぶっていた。レンブラントの帽子に似ているように思えた、あの帽子だった。それをルービンは、あたかも挫折と希望の王冠のごとくかぶっていた。」
 マラマッドはまるでこの最終行で詩人になったように思われるかも知れない。だがこの短編はこの最後のことばで息を吹き返しているのだ。同じ本に収録されている「わが息子に、殺される」というさらに短い短編を読めば、若い息子と父親の不協和が、どんなことばの和音とし並び立たっているかを知るのだ。
「親父は帽子のあとを追いかけていく。
 わしの息子は大きな海に足をつけて立っている。」

 荒川なる詩人が現代の小説にたいして懐いている不満がいかなるものかをみておこう。これには同感するものがある。
「現代の小説の多くは、社会的な変化や外側の求めに応じることで、その作品がそのなかにみずからももつものとは別の力をかりて書かれ、その面を評価される流れにある。『レンブラントの帽子』は、作品そのものが、読む人の心をとれえる。そこには文学の純粋さが力となってはたらいている。」
 現代の小説の読者にこの「文学の純粋さ」がどこまで伝わるか疑わしい。現代の文学には多少の不純な味付けが必要なのだと小説家なら考えるかもしれない。だが詩人の荒川の不満は分かる。
 余談になるが、スキューバダイビングにキューバまで行き、ついでにヘミングウェイが「老人と海」を書いた邸の中をみてまわったことがある。彼の猟銃での自殺の真相は分からないが、彼の小説のなかにはこの「純粋さ」があったことは疑えなかった。
 キューバの夜の海をもぐり、それから、私は海にさよならをした。


2帽子



関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード