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夕暮まで

 西日本が水害に見舞われている早朝、死刑囚七人の刑の執行があった。1995年(平成7年)の春、地下鉄に乗ろうとして足止めをうけた私は、危うくサリンの犠牲者になるところであった。阪神淡路大震災が2月にあり地下鉄サリン事件はそのあとに起きた。バブル景気が弾けて日本の経済が漂流しだす頃である。ちょうど戦後50年の節目にあたり、その夏に雑誌で「敗戦後論」(加藤典洋)を読んだところであった。それから数年後、谷崎潤一郎の戦争体験と昭和40年に没した「大谷崎」(三島)の旺盛な文学活動を、加藤とは別の方向から論じようとした「戦後私論」を初回のみ書いたところで、その後、日本の政治・経済は低迷し「マネー敗戦」という本が世にでるほどであった。私はわずかに「不審の時代」というエッセイ風の評論をある新聞に載せ、21世紀がいかなる時代になるかの示唆を記してお茶を濁した。だがこの予言は今世紀が始まるとすぐに、アメリカに起きた同時多発テロ事件で現実味をおびだした。その後の15年間の情勢に照らしても、スペインの哲学者オルテガが新世紀の15年の出来事からその世紀の性格が判明されるとの文句はうわごとではなかったようである。
 さて、明治から150年目となる2018年の現在、既に前世紀末に物故した政治学者の高坂正堯の「国際政治」を、そしてまだ少壮の政治学者である白井聡の「国体論」を読んだところだ。このところ、国政も巷の礼節もあさましくなる一方、実のない空元気ばかりが目につくテレビの類は出来る限り見ないことにしているが、二著作とも色々な意味で刺激的な本であった。昨年に始まった米朝のチキンレースのごとき苛烈な外交交渉は、シンガポールの米朝の首脳会談で平生に復したかのようだが、本格的な外交交渉はこれからが本場で、中国を含む世界の情勢は今後、深く広い舞台で、じわりじわりと変化を余儀なくされれていくことであろう。「東洋の離れ座敷」(「海洋国家日本の構想」高坂正堯)である日本が今後いかなる方向へ進むべきか、ここは思案のしどころなのだがそれを遂行し得る実態が日本から消えていることに、索漠たる思いを禁じ得ない。
 ところで、白井聡の「国体論」が興味をひくのは、まさに「国体」という死語ともいえる言葉に新たな息吹を吹き込んだことにある。テレビのチコちゃんに「ボーと生きているんじゃねいやー」と一喝されたような案配だ。
 白井はまず2016年8月8日にテレビを通じての今上天皇の「お言葉」に異例の衝撃をうけたと述べ、「戦後日本の対米従属の問題は、天皇制の問題として、〈国体〉の概念を用いて分析しなければ解けない」と考えたと書いている。ところで、三四十代の人に「国体」という言葉からいかなるイメージを持つかを戯れに訊いたところ、一瞬怯んだ後に、「国民体育大会」という回答があったのはおもしろいことであった。政治概念としての「国体」はいまの国民一般にはもはやなじみのない言葉なのにちがいない。白井の論から突飛な話題へ移るが、ちあきなおみといういまもって人気のある女性歌手が「矢切の渡し」を先日歌っていたのが思い出されたのだ。今上天皇の「お言葉」に異例の衝撃をうけたという白井氏には一時目をつぶってもらい、この「矢切の渡し」の歌詞をのぞいてみよう。
 歌い出しの二行はこんなふうにはじまる。
    つれて逃げてよ・・・・
    ついておいでよ・・・・
 男と女の逃避行の歌である。1976年のNHKの「新日本紀行~消えてゆく矢切の渡し」をみた作曲家の船村徹は、さっそく現地に飛んでみた景色をこんなふうに語っている。
「その頃はもう渡し船は動いていず、河川敷に木造の船が立てかけられていた。陸上で風にさらされた木造の船は、隙間だらけでいまにもバラバラになる寸前のようだった」
 私は日本がこの船のように無惨な姿をさらすなどいう戯言を言う気はさらさらない。世界から蔑ろにされず、むしろ一目も二目も置かれる国となるには、どうすればいいかと考えようとしているのだが、白井の指摘するように明治から太平洋戦争まで、そして、太平洋戦争から2022年まで、77年という同じ年月が流れる日本の未来を展望することは、なまなかに出来ることではないのである。
 ちなみに、「矢切の渡し」はレコードのB面でA面は「酒場川」であった。それで白井の本にこんな文句があったのを思い出したが、これは国体を戦前・戦後も不変と考える識者のことばであった。「水は流れても川は流れない」というのである。今回の豪雨をみれば、川が決壊して流れだし、多数の死者が出るのは自然の恐ろしさだろう。そして、いまや高坂氏の「不思議な日米関係史」(1996年)が中古品となり1円の値でそれを買ったところだ。まだ読む価値はあろうと思われたからである。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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