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テレビ番組寸感

 この夏は「熱中症」で死者まで出る異常気象であった。ここに最近みたテレビから思い出すままにその寸感を素描しておきたい。冷房と扇風機のアリガタミが身にしみたのは老人だけではなかったろう。二つほど今の世で不思議なことがある。まず、この異常気象の原因のもんだい、今ひとつは電気の供給量についてメディアが語ろうとしないことだ。前者は地球の温暖化に関わり、これは国際政治に関係することから寡黙にならざる得ないのだろう。後者は当然に今後の電力予想となるはずだが、これも何故かこれまでのように口の端にのぼらない。東電の側からのある筋からの情報では、最大電力予想量6000万kW、予備率が7%近くあるのでひっ迫の3%に至っていないとのことである。(後日追記:北海道が地震のため火力発電所が停止した。国民生活の直結する基幹産業が、東北大地震後においてもこのありさまである。当然にエネルギーの供給に国は本気で見直しをしようとするはずであったのではないか。)


BS映画「アメリカ、アメリカ」
 監督は「エデンの東」で有名なエリア・カザン。トルコの貧農の村からギリシャ人の一青年が遠いアメリカに夢を求めて旅立つ長編映画である。当然、追いはぎやらの手ひどい体験に遭いながら叔父さんがいる首都イスタンブールにようやく着くが、そこからまたアメリカの行の船に乗るまでが一苦労というストーリーは見ていて飽きない。当時のアメリカがいかに憧憬をかきたてる国であったかが、現今と比較してそのたった一世紀弱の間での変わりように驚いたところだ。当時のアメリカは明るく国を開いて自由の土地そのものであった。

ETVドキュメンタリー「都市爆撃の真実」
 太平洋戦争でのアメリカは当初、陸海しか戦闘部隊がなかった。そこに日本からのハワイの真珠湾攻撃で激しい空爆をうける。カーチス・ルメイという飛行機乗りがこのアメリカに空軍を確立するまでを記録したものだ。日本軍と同様にアメリカでも、陸軍と海軍がいがみ合い鎬を削っていた。そこに空軍の威力を見せつけることで認知を得ていくのだが、遂に日本本土が焦土となる経緯が知らされるのだ。なぜB29が軍事基地いがいでの焼夷弾による無差別の絨毯爆撃が行われるに至ったかが理解されると、一人の野心家の野望の犠牲になった日本人の累々たる黒焦げの死体の呻き声が聞こえてきそうだ。戦争というものは、いや歴史はその真の詳しい実情が判明されないうちは、ほんとうに知ったことにならないということ。日本へのこの容易い成功がやがて、ヴェトナムへのナパーム爆弾の投下となったのであろうか。ドイツのヒットラーがしたことを倣ったわけではないのだろうが・・・・。

ETVドキュメンタリー「アメリカと被爆者~シュモーさんを探して」
 フロイド・シュモーというアメリカ人でクッエッカー教徒の一人が、衛生兵を志願して大平洋戦争に参戦する。そこで悲惨な戦争の実態を知る経験から、戦争の被害者のための家を建てることを決意して、広島や長崎に木造建築を現地の大工達の協力や全国からの寄付を募って建築していく。こうした平和主義者のアメリカ人がいたことを初めて知った。その柔和な顔が印象に残った。

NHKETV特集「えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋」
 34年の生涯を身障者として苦闘しながら歌を詠み、ベッド生活を耐え抜く実像を周囲の協力者の支えと援助を含めて、映像に残してくれた貴重な番組であった。その歌は実に生々しく直裁であったが、そのギリギリの闘病生活から歌を書く姿は正岡子規を彷彿とさせた。子規も多くの友人をまわりに集めていたことが思い出されたのだ。身障者19人を殺害した相模原事件があったが、これに真っ向からNOという意思がこの映像を明るく暖かいものにしている。この映像をみれば誰でも生きる勇気を得るに違いない。相模原の殺害犯人とこの歌人の顔を相対してみれば、その表情の表裏の違いに驚くにちがいない。

名曲アルバム「シャボン玉と七つの子」
 生涯で700の童謡を書いた野口雨情が茨城県の筑波山のふもとの町にいたことに興味を懐いたことがあった。図書館で筑波山が載った地図を広げ、ただ想像だけで「花」という掌小説を書いたときであった。本の小説はほとんどが想像の産物なのに、そこに実生活を見ようとする読者が多いことに呆れてしまった。それはともかく、名曲アルバムは以前から見て聞いていたが短いが素晴らしい至宝の番組だ。今回は「シャボン玉飛んだ」と「七つの子」をじっくりと聞くことができた。ちょうど孫がフランスから来ていたので、日本の童謡を聴かせたいと思ったのだ。「七つの子」のカラスは「可愛、可愛」と啼くことを初めてのように知った。このカラスのイメージは都会のゴミを漁るカラスにより消えてしまったようだ。ゴミとカラスの関係は勿論その対処方は然るべく考える必要があるだろうが、可愛そうなのはカラスという鳥の生息地のもんだいでもあろう。

「上野戦争」(「英雄たちの選択」から)
 上野は近くにあるがその詳細な歴史を知るものは少ないだろう。江戸城の無血開場は有名な西郷隆盛と勝海舟の対談で成立した。だが江戸市中には幕臣の旗本やら薩長勢力に反感を懐く武士や町人たちが蠢いていた。徳川慶喜は寛永寺で謹慎していたが、寛永寺山主の輪王寺宮(明治天皇の父)が同じ場所にいた。公武合体の計略はこの輪王寺宮を擁立することで、江戸にもう一本の菊のご紋をひらめかす旗を挙げるという可能性はあるが、それを許すほど薩長は間抜けではないし、それを実現する政治力は慶喜に残っているはずはなかった。上野の山に集結した彰義隊4000と言ってもそれを完全に統率する人物がいたわけではない。有象無象も含まれていた。しかし、江戸市中が焼け野原になってしまっては元も子もないのは、西郷も勝も同じだ。だがいざそのときは、江戸を市中を火の海にしてでも抵抗せよと、勝は火消しやらごろつきやらを抱き込んでいた。「情婦(まぶ)にするなら彰義隊」と講師のひとり森まゆみが紹介していたとおり、粋も甘いも知った江戸っ子が彰義隊にはいたのである。(森には「彰義隊異聞」という本がある)。いやそればかりではない。会談の部屋からは品川沖に浮かぶ官軍の軍用艦が視界に入るように道具立てまで怠りなかったという。上野の山で何をやらかすか分らない連中には気がもめるが、西郷の目はすでに東北へ向いていた。まだ東北では奥羽越列藩同盟がどう動きだすか分からない。戊申戦争はこれからである(戊辰戦争の一端をしりたければ「笛の音吉」(「夢のあとで」所収:田辺静幸著)で読むことができる。江戸ではまだ薩長等の反徳川勢力に負けた気がしていない不満分子が江戸市中にうろうろしているのである。西郷は決断した。遂に上野の山は大村益次郎の武力に任すことにしたのだ。山へ三方から攻め立てついに半日で陥落させた。さすが靖国神社に大村の大きな銅像が建っているわけである。そして、大西郷の幕末からの活躍はこの当たりまでで、平時が服すようになれば、西鄕のような革命家は必要となくなるのは世の常のことだ。明治8年まで上野戦争と彰義隊のことは情報統制で広くは知らせなかったとのことだ。西郷隆盛には、相反する矛盾する側面を持った興味深い人間であることは、鋭い論客である橋川文三の「西郷隆盛紀行」(朝日選書)で知ることができる。また、小説「彰義隊」(吉村昭)が参考になるだろう。下町にはまだ江戸時代の一筋の名残があるようだ。

ノモンハンー責任なき戦争
 以前にもノモンハンはテレビでみたことがあった。兵站を視野に入れない無謀な闘いの悲惨をみた。今回はソ連の作戦を読むこともできず、作戦遂行の責任を誰もがとろうともしないどころか、結果責任を部下になすりつけ自殺を強要する日本の軍隊の卑劣さをみた。だがこれは戦時の軍隊だけではない、現にこの日本の組織の暗部に隠された一光景であることだと想像させずにはおかないものがあるからである。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を書く手でこの「ノモンハン」も勇を鼓して書いてこそ、「日本人とはいかなるものか」のその真の実像を掴むことを得たであろう。それが責任ある本当の「国民作家」というものではないのか。

原爆開発
 開発に率先して携わった科学者の多くをみたが、ノーベル賞級の科学者の参加が多数いた。これは一概に非難はできない。現在も同種の技術開発の競争は存在するだろうからだ。ただそれをどう利用するかの最終は政治家によるだろう。金融でも医学でも宇宙工学であれ、尖端科学の開発者はその結果によりジキルになりハイド氏になるのではないか。

映像の世紀ー難民
 テレビの映像を見終わり、どうにも厭な気分であった。胸の底板に「穴があいた」(ハンナ・アレント)としかいいようのない重い感慨が残される。世紀を数千年遡れば「旧約聖書」にはこれに等しい難民の話が書かれているとの想像が、そう簡単に現代の難民理解に寄与しないことは、アレントの「全体主義の起源」の冒頭数ページにわたる、緻密な考察からなる文章を読むことにより、さらに錯綜した近代の人種・民族・宗教による差別の歴史が啓発されざる得なことになるからである。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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