画家バルテュス

その展覧会はいまでも鮮明に憶えている。東京駅内のギャラリー会場は赤レンガの壁が剥きだしのままに、そこに画家の絵が吊されていた。一枚、また一枚と見ていくうちに、私の立っている現実は画家の夢の世界から侵犯され、不可思議な通路をとおり、画家の夢の空間へと飛翔していくようであった。それがいかなる異次元かは知らされないまま、遠くかつ近いその「異界」は、どこかで触知したような既視感を私にもたらした。その空間は余りに閑寂でもあり、不思議な浮遊感に不安を覚えながらも「美」の陶酔があった。そして最後の大版な風景画には、離れがたい魅惑があり、それがどこから来るものかと、長いあいだタブローを凝視していた記憶がある。1993年の晩秋のことであった。
私はあの煉瓦造りのギャラリーで、その最も深い意味で幻惑され、衝撃的な感動をうけた画家の正体がその後も気になっていた。あの詩人のランボーが「断じて現代人でなければならない」と言った、文字通りの絵画芸術を目にして二の句が告げなかったのだ。「危険」というような形容では済まない、永遠なる深淵を窺わせる奇怪な美しさが、静かにじわじわと迫り、その魔的な幻術に脳天をえぐられ、目眩に襲われつつ、展覧会場の東京駅を出るときは、昏倒するのではないかと畏怖にちかい思いを懐いた。
バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ伯爵、通称バルテュスと呼ばれるこの寡黙にして狷介な画家は、ポーランドの恵まれた両親の次男ー兄のピエール・クロソウスキーは「ロベルトは今夜」の著者、母親と詩人リルケの隠し子と言われ、独特な絵を描く鋭く難解な評論家ーとして、11歳にしてリルケの推挽で詩人の序文を得て、愛猫を失った物語を描いた「ミツ」という絵本を世に出している。
独学でイタリアのフレスコ画家のピエロ・デッラ・フランチャカの「キリストの復活」に近代のピカソを発見して盛んに模写したという。独自の道を行くこの画家にピカソも秘やかなる親愛を寄せ、詩人のルネ・シャール、狂詩人のアルトナン・アルトー、小説家のアルベルト・カミユ、サン・テクジェペリ、ジャコメッティと交友し、画家のボナールやマテュスとも交わり、数枚のデッサンと交換して購入した旧い城の館には、俳優のリチャード・ギア、シャーロン・ストーン等の訪問をうけたという。二番目の妻であり着物の似合う日本人の節子夫人は、マルロー文化相を介して出会い、一人娘がいる。
渋澤龍彦により「危険な伝統主義者」とのレッテルを与えられたこの画家は、その後、スキャンダラスな日本の写真家と共にテレビで紹介されていたが、絵のほかに語るすべはないとの寡黙にして東洋的な隠遁精神の貴族的な体現者とし、見者の趣きをもった画家の真実の姿は、神秘のヴェールに包まれたままであったといえよう。
光をこよなく愛する画家へ、カミユは「春を創造するあなたへ、私の冬の作品を送ります」と「転落」を贈られた画家が不吉な予感を懐いてから、そう時の経たぬうち、ノーベル文学賞作家・アルベルト・カミユは不可解な自動車事故で他界したのだ。
1908年閏年、2月29日(魚座)に生まれた画家は、4年に一度誕生日を祝い、21世紀の初頭2月19日に逝去した。享年92歳。20世紀を横断した稀代なこの具象画家を特集して、「芸術新潮」は追悼特集を出している。画家がその生活をこよなく愛した”グラン・シャレ”には、画家が好んだ映画「座頭市」の勝新太郎が訪問すると、目を悪くして黒メガネをかけ、杖をついていた画家は、勝新太郎へ座頭市の真似をしたという逸話がある。
画家のインタビユーをまとめた「バルティス、自身を語る」という本がいまは訳出されているが、「危険な伝統主義者」を語るのは容易なことではないのである。
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