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プロバンス紀行(1)

 9月30日10:15発 飛行機は台風が迫るなか逃げるように成田を飛び立った。。間一髪であった。家からの連絡が今少し遅れたら乗り遅れたかもしれなかった。見回すと座席の所々に空席がみえた。
 トルコのイスタンブールで乗り換えニース空港を出るとすぐにタクシーに飛び乗りバンスへ向かった。バンスはアンリ・マティスのロザリオ礼拝堂があるところだ。予約したホテルはこの礼拝堂に近くにある小さなホテルである。マリリン・モンローの大判の写真とアンディーウオホールの分厚いカタログ、その他が無造作に部屋を飾っている。ダブルベッドの部屋をふくめ三部屋に二つのおきなテレビがある。窓から遠くに山脈みえた。なだらかな丘陵に家々が点在している。いかにも長閑なプロバンスの風景である。

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 ホテルのまえにバンス美術館があった。早速町に出て広場を散策。路地の奥にまた小さな広場がありレストランが軒を並べている。貰った鍵は容易に開かないので、ゴチャゴチャやっていると階下から手助けがきた。フランスは鍵に悩まされる国だ。それだけ盗人が活躍しているせいなのか。ステッキを持ってマティスの礼拝堂を目指して歩き出した。着くと2時間の休憩時間にぶつかり所在なく鉄柵に寄りかかって開くのを待つしかない。日本人が乗る車から兄弟の男女が降りて、昼食に誘われた。ミラノから来た二人は北イタリアを回って来たと弟が話した。ナポレオンが通ったアッピア街道をきたと聞いて、その隊列の中に若きスタンダールがいたと話した。それをしおに姉が立ち上がり、近くの教会にシャガールのモザイク画あるという。そこを出ると車はすぐにマティスの礼拝堂へむかった。

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 画家のアンリ・マティスが最後の画業の集大成ともいえる「ロザリオ礼拝堂」は丘に建つ小さな建物である。地中海が遠くに光って見える。光りがふんだんにステンドグラスを照らし、壁にマティスが描いたキリスト像がある。犀利なデッサンの小品が館内に多数みられる。数枚の写真葉書と型録を買い、外に出て庭をみた。マティス好みの植物が目につく。外に止まっていたタクシーに、ニーチェが永劫回帰の霊感を得た場所まで行ってくれるように頼むと、友人のタクシーを呼んでくれた。陽気な運転手だがフランスではこの手の男は容易に人を瞞すのが得意である。猛スピードでニーチェの道まできたが、道は荒れていて危険との中国の観光客の助言で、入口で案内板の写真だけを撮る。高級そうなホテルが高台に望めた。帰りのバスが遅れ押し合いへし合いのすし詰め。中国人観光客が圧倒的に多い。バンスのホテルに戻る。この町で印象に残っているのは、スーパーで肉や野菜やバナナを買い、レジでそれを袋に入れて貰った。後にいた少女が袋に入れてくれた店員に感謝をしなさいと叱られ、少女の言う通りにすると、店の皆から笑われてしまったのだ。自分で買い物をし慣れず、また押寄せる疲労から、子供の言いなりにしたまでである。はずかしめをうけたというより、ふがいない思いが残った。ホテルはは肉を焼いたり、野菜を茹でる機器はなかったので、野菜はそのままちぎって口にいれ、肉は冷蔵庫に入れた。シャワーを浴びて息をつく。翌日散歩。レストランで軽い食事とワイン。ホテルまえの美術館に入った。ここで驚いたのは、詩人のランボーのスケッチを見たことだ。写真はとったが誰が描いたものか分らなかった。これ以外に特に目をひく作品はない。バス停までホテルの若い支配人がバックを引いてくれた。高い部屋に泊まった客へのサービスなのか。「やれやれ」という声が聞こえそうだった。列を作って並んでいたがバスが来ると、競うように一斉にバスに乗り込む。一番前にいたおばさんが抗議したが誰も聞く耳が持たない。フランスの個人主義のみごとな成果なのか、ヨーロッパでは普通の行動かも知れない。陸続きの長い歴史で辛酸の経験をした欧州の国民に「知仁礼義」などという東洋的な考え方をしないだけのことであろう。3泊したバンスを去り、バスは一路ニースを目ざした。

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 ニースでバスを降りるが、泊まる予定のホテルがどこにあるのか見当がつかない。歩いて海岸へ出れば、そこには椰子の樹がみえていかにも南仏らしい光りにあふれている。車道は車で一杯。流しのタクシーを探したがない。ホテルがどこにあるのか聴いてまわったが誰も素っ気ない。広い車道に戻りタクシーに乗った。運転手はニタリと笑った。カモを見つけたという表情。黒人の若い男。ホテルの名前を言ったが通じないので、住所を見せるとすぐに発信。そこからホテルまでタクシーで数分の近さだ。最初からイヤな予感がした。ホテルのフロントの早口のフランス語がいかにもビジネスライクでカード鍵を受け取ると部屋に入った。狭い部屋にダブルベットがあるだけの簡素な佇まい。まずはやれやれである。そこで数日を過ごすことになる宿泊場所だ。フロントの奥に簡単なテーブルと椅子がある。そこがプチ・デジョネを摂るところだ。黒人を含む集団の若者が圧倒的に多い。まるでニューヨークのダウンタウンに来たようだ。フランス窓を開けると、そこから見える建物がたしかにこの町がニースという都会だと知られた。小さなホテルがひしめいている。

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 朝食に階下に降りる。粗末なテーブルと椅子。いかにもフランス的な簡単な朝食。スプーンもフォークも清潔とはいえない。ただ温かい珈琲や紅茶がのめるのがうれしい。若者がパソコンをのぞいている。近くにあるシャガール美術館へ行くためにホテルをでる。偶然老夫婦が同じ処へ行くので同行する。夫人と話したが、アメリカ人は気さくでいい。シャガール美術館は高台のいい場所にあった。広くて感じのいい美術館で、作品も豊富であった。ステンドグラスで飾られてホールで画家を紹介する映画をみた。さすがアンドレ・マルローの肝いりで作られただけの施設だ。庭で昼食を摂った。日に照らされた戸外のレストランでようやく肉にありつけた。戸外の明るいレストランは人を幸福にするようだ。シャガールの絵にあらためて魅力を感じ、それが幸福感をたかめてくれたのかも知れない。

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 翌日だったか、ニースの町中を傘をさして歩き、マティス美術館を尋ねるが誰に聞いても知らないとの回答だ。雨宿りした建物が映画館だとわかり、映画をみることにした。館内は幾つかの映画が観られたが、あてずっぽにみた映画は高齢者の生き様をテーマにしたものだ。最初と最後に目が開いた。いつしか眠りこんでいたようだ。夕食はホテル近くの中華店に入った。どこでもそうだが、中国人はフランスで小さくなって暮らしている様子にみえる。客を用心深くみる目に特徴がある。やはり西欧では東洋の人への差別が根底にあるのだろう。最後の日の夕刻、ニースの海岸まで歩いてみた。ホテルは駅に近い。つぎに行くエクスバン・プロバンスまで切符を買いに出かける。そこから電車とバスでルールマランへ行く予定だ。
 後悔してもはじまらないが、マティス美術館へいく努力をどうしてこのニースで諦めてしまったのだろうか。私はマテュスの徒といってもいいくらい彼の研究をしたことがあった。バスに乗ればそこへ行くことはできたのだ。シャガールの絵の魅力は私からマティスへの熱情を削いでしまったのだろうか。マティスはニースにアトリエを構えて仕事をしていた画家であった。過去にツワーでニースをバスで通ったときにマテュスがアトリエにしていた建物を見たことがあった。そのときに逃した機会をこの旅行で実現することができたのだ。バンスのロザリオ礼拝堂は、私が長い間懐いていた期待の大きさに比べ、少々期待はずれの感があったのは否めない。マテュスの色彩と線とによる理知的な探求と成果がどうしてあの小さな礼拝堂で、私を満足させてくれるはずがあっただろうか。一方、シャガールの絵には大地から湧き出す原初的、宗教的な力で魂を魅了する不思議な躍動があったのではないか。ともかく私は疲れていた。それに雨が私の意気を沮喪させてしまったのだろう。つぎにいくルールマランへの道のりが、私の心を領していたこともその原因となっていたのだ。
 ニースの駅で来る予定の電車をモニターをみながら待つ。何番線に電車が来るのかが気になったのは、重いバックを引き摺りながら階段を上がり降りするからだ。隣に座る黒人の少年と会話をする。できるだけ多く話して会話力を試すのが今回の旅の目的であったからだが、旅では見ず知らずの人と話すことがいいのは、様々な情報が得られるからだ。善良な黒人少年であった。電車が来たので階段を降り、上がろうとホームを見上げると、ホームにいた別の黒人の少年がわざわざ降りてきて、バッグをホームまで運んでくれた。その素早い親切な手助けに感謝。エックスバン・プロバンス駅で電車を降りたが、バスの乗り場がどこにあるのか茫然とした。人に尋ねて、エレベーターを乗って高台へ行く。バスの乗り場を探すがなかなか見つからない。見つけた処にはたくさんの乗り場がある。腹のたしにと寄ったショップの店頭にステッキを置き忘れて、それを老人の紳士に気づかされてハットしたことを、いま思い出したが、このとき私は茫然としていたのだ。まずバスの切符を買わねばならない。売り場の女性に尋ねても、フランスの交通関係の職員は見事なほど素っ気がない。ひとかけらの情というものをみせることがない。乗り場はとんでもない遠い処にあった。風と小雨が容赦なく当たる。ふと見ると近づいてくる婆さんがこの線路の利用者だと分った。もう年齢的には相当な婆さんだ。先刻、私のコートの一番上のボタンが外れていると、わざわざ嵌めてくれた婆さんであった。ベンチにその婆さんと隣り合わせに座った。楽しいお婆さんであった。二人で歌を唄いあった。フランスのABCの子供の歌。もう一人知り合いの婆さんが来てこの二人の婆さんがいたお蔭で、バスでルールマランで間違いなく降りることが出来た。このお婆さん二人は重いバックをバスの車体から取り出すのまで手伝ってまでくれたのだ。そうだ思い出したが、ここで間違ったバスに乗ってしまった。走り出した運転手にそのことを伝えようとするが、なかなか伝わらない。若い運転手は理解できないの一点張りだ。その光景に見かねた黒人の婦人が運転手に耳打ちをしている。そして私を見て、つぎの停車場で降りて戻るしかないと示唆してくれた。こうした親切がなければどうなっていたことだろう。この旅は忍耐することを第一に、そして顔に微笑を浮かべていることを課していたが、このときの横柄さは我慢ならないものを感じた。
 ルールマランに着きホテルを探して、町中でこざっぱりとした少女にホテルの名前を告げると、すぐそこにあると親切に案内をしてくれた。カミユの作品を列挙すると、彼女はいちいちの作品名に誇らしげに頷き、最近「最初の人間」を読んだと言った。その作品は事故に潰れた車のカミユの鞄の中から出てきた遺稿であった。一気に長い文章が完璧につづく力作で、細君のフランシーヌと娘がその遺稿を編纂して数年まえに刊行された。こんな年若い女性がカミユの遺稿となった作品の読者であることに感嘆した。ホテルのまえに来ると足早に立ち去ったが、その貞潔な挙措は愛らしい印象を残した。

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 ルールマランはいかにもプロバンスらしく静かで小さな町で、そのまわりには広闊な風景が広がっていた。そこに古城がそびえワインを売る店があったりした。アルベール・カミユはこの町を好み、パリとこの町をしばしば往来していたらしい。NHKの「旅するフランス語」の番組にこの町を愛したカミユの紹介があった。ノーベル文学賞を若くして受賞したカミユはこの町の一角に質素な別荘を持った。その家にはいまもカミユの娘がひっそりと暮らしていると報じられていたが、いかにもカミユの娘さんらしい。1960年に自動車事故で不慮の死を遂げたアルベール・カミユの墓はこの町はずれにあると聞いた。瀟洒なホテルに泊まった翌日、早速その墓地を訪ねた。ホテルから歩き墓地をさがしたが見つからない。タクシーがきたので、運転手に聞くと、すぐそこだとドアを開けてくれた。乗るとすぐに車は墓場の前で急停車した。なんと通り過していたのだ。短い礼を言うと墓地へ入った。狭い墓地で墓はすぐに見つかった。カミユの墓であることは横にならんでいる石に微かに彫られているところから判明できた。だが墓石らしきものはなく、あるべき場所は雑木が生い茂っているばかりだ。隣に細君の墓石が残っていることからそれと知られた。「幸福な死」を書いたカミユに相応しい墓なのだろうと思われたが、そう思うこととわざわざ墓参りにきた人間の感情とはまた別のものだ。

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やがてカミユの墓に一人の男が近づいて来た。人がいるのでたじろいだ風にみえた。墓のまえで立ち話をする。やはりサルトルやボボワールを若い時に読んだという。毎年一回はこの墓へ来るとドイツ人は言った。私たちは旧知の友のように顔を見合わせた。カミユの作品に「ドイツ人の友への手紙」があるのを思い出した。さよならとドイツ語でいうと、ニッコリとした微笑が返ってきた。足早に墓地を後にした。帰えり道、路上にあふれるほどの黄色い実をつけた植物が目にとびこんできた。カミユの墓を詣でてのあてどない胸の中に言いしれぬ光りがあふれた。

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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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