FC2ブログ

明治41年の「デバガメ主義」

 高橋源一郎という作家の「日本文学盛衰史」という小説は、明治42年を起点に始まることを、加藤典洋の「小説の未来」で知りました。なぜこの年から高橋が日本の文学史を小説にしようとしたのか読んでいないので知りません。たぶん日露戦争後の歴史の曲折に小説への想像力が湧いたのでしょう。
 それはともかく、偶々、私の関心をいだいた男が犯罪を犯した年がその前年の明治41年でした。男の名前は池田亀太郎という飲んだくれのだらしのないだめ男でした。なぜこんな男に気が転じたかと申し上げますと、家の飼い猫が引き戸を開けることを覚え、悪戯の範囲が拡大されたことにあります。ときどき私の部屋へも扉をきちんと締めておかないと押し入り、机に跳び乗ってひとしきり遊び、その後は私の蒲団で寝むりこむことが常習となりかけているのです。私が一休みと思うと猫が鼾をかいていい気持で寝ています。私が顔を近づけると寝ぼけ眼で睨まれてしまいます。私が横たわろうとするとやおら起き上がって、場所を空けてくれるのですが、しばらくするとまた音もたてずに蒲団の上に足をのせ、今度は私の仰向けになっている胸の上に乗りあがり、その上で横たわるのです。もう5キロちかい体重がありますのでこちらは重くてしかたがありません。私は心臓が弱いほうなので、この件を妻に話すと、お腹の胎児が母親の心臓の音を体感する気分になるのではないかと、猫に肩入れするようなことを言います。では自分はどうかというと、一歩たりとも部屋に入れません。入れると猫の毛が部屋を汚すからだとか、いろいろな理由を並べて断固として猫の侵入を阻止しているのです。ところが、育ち盛りの猫の好奇心はときに風呂場に及んでくる形勢で、風呂場の扉を押すとすこしの隙間ができることを覚えてしまいました。その隙間からランランと光った猫の片目が見えるのは男でも気持のいいものではありません。そのことに話しが及ぶと、飼い猫を「デバガメ」という聞きなれない名称で口にしました。それはどんなコトバなのかと筋を質しても、あとの説明はあいまいなまま、まるで政府答弁のようにうやむやに終わりました。たぶん下世話なことだろうとそれ以上の追求を控えたところです。あるときふとそのことを思い出して調べてみました。
 そこで明治41年の話しに戻ります。森鴎外も「ヰタ・セクスアリス」で書いているらしく、当時、巷間を騒がした一事件があったことが分りました。それが、池田亀太郎という男が、女性の風呂場をのぞく常習犯で、とうとうあるとき、お風呂屋から出てきた一女性の後をつけ、この女性に暴行をはたらき死に至らしめたようです。それからこうしたけしからぬ男を巷間では「デバガメ」という渾名で呼ぶようになったというのであります。おそらく池田亀太郎という人は、上の歯が必要いじょうに前へ出ていたのでしょうか。妻が飼い猫にこのような渾名の男と一緒に考えたとするならば、これはとんでもない牽強付会であります。
 ちかごろは、このていの殺人事件をメディアに見ない日はありません。頻発するそうした不貞の輩にいちいち渾名をつけるゆとりもない状勢にあります。厚労省の統計問題などは、それ以前の社保の年金消えも含め、労働厚生省と呼ばれたずっとまえから、おかしな兆候は多々散見されたところでしょう。
 さて最後に、森鴎外先生の文章を掲載しておきましょう。
「そのうちに出歯亀事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹する。所謂自然主義と聯絡を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。」
 自然主義に距離を置いた鴎外先生は、脚気に対しては細菌説にこだわり、海軍が栄養に注目して白米に麦を混ぜることで脚気を防止できたのに、陸軍では3万人の兵士をこの脚気で死なしてしまったという、福井伸一の「動的平衡」のエピソードを読んで、「自然主義文学」と細菌説との文学的な隠喩関係を妄想したところでありました。また、藤村の「破戒」や田山花袋の「蒲団」が日本の自然主義文学の先魁となりましたが、この一人でもあった正宗白鳥は「自然主義文学盛衰史」を書いています。そこで思い出すのが、小林秀雄との有名な「思想と実生活」論争ですが、田山花袋の死の床で、藤村が「死んでいくときの気持」を花袋へ直に問う
その姿勢には滑稽を超えた抽象的なものの接近が伺えます。小林が「正宗白鳥の作について」で書きたかったことは、その死によって中断されましたが単なる思い出ではなかったでしょう。実生活を離れない思想を無意味と観ずる、貧しいリアリズムから遠く旅立ったのだ。




関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード