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日 記

三月五日
一日晴れ
午後 「動物と人間」(河合雅雄・沢田允茂)を読む 夕方ちかくプールへ行き 300メートル泳ぐ 次女の孫(4歳)と風呂にはいる なんともいい気分なり


 先日亡くなったドナルド・キーンという人は、日本兵の日記を読むことから日本文学への道を歩きはじめたそうである。永井荷風の日記はひとに読まれることを想定して書かれている。ふつうの日記というより文学とみたほうがいいだろう。朝、何時に起き、朝食、昼食、夕食になにを食べたか、日常のできごとを淡々と記した日記は、俗事の「詩」を思わせる。
 「富士日記」という作家の武田泰淳の細君がつけていた日記がある。

六月二十一日(月)終日、雨
朝 ごはん、味噌汁、鮭の缶詰、大根おろし。
昼 グリンピースごはん、コンビーフ、スープ、青菜炒め。 夜 湯豆腐(ベーコンと玉ねぎ入り)、パイナップル。
一日中、庭先から向こうは乳白色である。外に出てしばらくすると濡れているのがわかるほどの微かな雨が終日降っている。
二人で本栖湖へ行った。本栖湖は、ひどく減水していた。広くなった浜を歩いた。誰もいなかった。吉田の薬屋へまわって、荔枝(れいし)のハチミツ(中国産)をあるだけ買う。九本四千五百円。夕方、思いついたように、雨の中を外に出て、主人は枝伐りに夢中になった。


 前述したドナルド・キーンの「日本文学史」はたしか冒頭から日記にふれている。
「土佐日記」「更級日記」等であった。こうした日本の文学の夢中にいた自分がなつかしく思われてならない。
日本の文学は明治以降、なにやらさわがしくなった。さわさわと流れていた小川ににごり水がまじりあい、水嵩がますにつれやかましい風景になった。
 国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」というのは、日記を記すこともない、ただの俗人なのだろう。世に生きている無名の人々。


(対話篇)

A:人類の全史を考えるまえに、一匹の猫なら猫でもいい、動物を前に、種としての人間を置いてみる必要があるのではないか。
B:そうですよ、日本のサル学はすごいですからね。「動物と人間」は動物学者と哲学者との非常におもしろい対話です。
A:だから、国木田独歩は無名の人と同時に、無名の動物を「忘れ得ぬ」にも入れることが大事だったのではないですかね。
B:まず人類と同様に動物から学ぶという姿勢がたいせつなのではありませんか。ゴリラは手話から数百の言語を模倣し、チンパンジーはウソをつくことができるようです。
A:この河合さんは、あの村上春樹が会いにいった隼雄のお兄さんですね(春樹と隼雄さんの会話は1995年10月)。
B:家の妻は朝一番で猫に餌をやり、霊前に御飯を、さいごに私に食事をだしてくれる。
A:それはいい順序ですね。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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