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天然の観察

 ある朝、クラノスケが新聞の上に乗ってきた。猫が新聞を読むわけではない。それまで石油ストーブの上にいたのに、主人がひろげていた新聞の上にのったりと移動してきたのだ。この動作を二度繰り返した。主人は新聞をひろげて考えごとをしていたのだ。クラノスケはそれを邪魔するように、その新聞の上にドタリと腰を下ろした。自分が蔑ろにされていることが面白くないらしい。朝は一晩ねて食事をしたあと、クラノスケは悪戯をしたいのである。それなのに主人がテーブルに新聞をひろげたまま、ボッとしているのが物足りないのにちがいなかった。こんどは主人の目がクラノスケを注視した。不満気な表情をしたクラノスケは、耳を盛んに動かしている。キッチンにいる細君の様子を窺ってもいるのだ。外からの入る物音にも気になるので、目と耳を四方八方に配っているのであろう。動物にはどうやら外界だけがあって自分というものはないらしい。だがほんとうにそうだろうか。ときどき外界へ反応して声をだしているのはもちろん声であってことばではないらしい。ならば「ことば」とはなんだろう。動物の「声」はたしかに人間の「ことば」とは異質なものだ。だが動物の「声」が「ことば」のように思われることがあるのもたしかだろう。安眠しているクラノスケを起こすと、「ブッ!」という不満な声を発することがあるのだ。
 さて、主人がひろげていた新聞には、関心をひく記事が幾つかあった。このうち二つが見開きの新聞に並んでいた書評であった。まず「銭湯図鑑」(塩谷歩波著)。主人はときどき隣町の銭湯に行くので、なんだろうと思ったのだ。著者は建築関係の人だが銭湯で働いたこともあったらしい。そこから「銭湯図鑑」という本を書いたのだ。主人は銭湯に建築的な興味をもったことはない。ただあのほのぼのとした空間に真裸でいることが好みだったのは中学生のころからであった。家に帰ると母親が主人の長湯に呆れたように「あなたはお風呂屋さんでなにをしているの?」と尋ねられたことがあった。浴槽の縁に腰かけて、午後の陽ざしに明るく照らされている高い天井をボッと眺めているだけであった。ときどき、男がふたり仲良くしているのに出合うことも、中学生にはその二人がどんな関係にあるかもわからずに、ただなんとなく面白いことであった。広い浴室から着替えの部屋へ出ると、三橋美智也の歌が聞こえた。「松風さわぐ丘のうえ・・・・」なにかそんな曲だった。主人はあの歌と声がいまでも好きなのである。つぎに主人の目にとまったのは「天然知能」(郡司 ペギオ 幸夫著)というこれまた本の書評だ。だがもう内容は覚えていない。つぎに紙面をめくると、アジアの人類の古代史について書かれた本の書評にまた関心がいった。なんだかこの三つの記事がどこかでつながるような気がしたが、それいじょうにはわからない。主人は自分の本にのせた美術論にむずかしいことを書いたのだが、もっと簡単なことなのにと、それを自分にひきつけて書き直そうと思っていたのであった。
 クラノスケはさっきまで、主人の机の上にいた。ぷいと退屈してどこかへ遊びに行ってしまったらしい。それは主人の母親が家にかかってきた友人の電話へ愚痴を言い、それを友人が主人へ面白おかしく再演してくれたことが思い出された。
「あのこはどこへ行ってしまったのでしょう。ぷいと出ていってしまいましたが、あなた知りませんか?」
 まったく動物は「自己本位」だと主人は苦々しく思い、もう自分の部屋なんか入れてやらないと、またいつもの残念を繰り返した。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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