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人生との決闘

 映画監督の黒沢明には、思わず息をとめ目を奪われる真剣での決闘場面がある。
 ひとつは「七人の侍」に、二つ目は「椿三十郎」の結末にその例を見ることができる。

 山賊たちに村を荒らされた百姓がどうしたらよかろうかと思案する。追い詰められた百姓には村を守るためのこれが決闘の準備といってもよいだろう。思案の末に村の古老に相談すると、厳しい面構えの古老の「侍を雇うべえ」との決断は早かった。幾人かが強そうな侍を捜しに人通りの多い街道にでる。だが怖々と声をかけても、仕官中の侍にはにべなく断られるやらで、百姓と侍という歴然たる身分の違いを思い知らされ途方に暮れる。そこに子供を人質に小屋に立てこもった盗人を、丁髷を落とさせ僧侶になりすませた年期の入った侍がみごとに腹を空かせた盗人を握り飯で釣り斬り殺す。ここにも小さな決闘の場面がある。この老獪な侍の鮮やかな子供を助ける戦い方に目を見張った百姓たちが侍に目星つけることから、この侍の人をみる裁量により7人の侍が次々と揃うのである。その中に一人に見つけられたのが、売られた決闘でみごとに勝利した武芸の達人だ。まず、この侍の決闘の場面にレンズを移してみよう。
 互いに5,6間へだてて竹棒での打ち合い、一見相打ちのようになるが、「真剣ならばお主は死んでいる」と言われた侍は怒り、「では真剣でやろう!」と興奮して聞かない。そこで双方が今度は真剣を抜き合っての勝負となるのだ。激高した侍は上段の構えで、他方はそれを見て、下段からゆっくりと脇構えとって向かい合う。互いにじりじりと間を詰め合う。上段から真っ向に斬り下ろされた刀が脇構えの侍のからだに触れたかの一瞬、脇構えから最短距離でのびた剣先は相手の右頸動脈を斬り、瞬時に左足を退いている。上段からの攻撃を他方は脇構えをとることで、真っ向からの攻撃の間を見切ること得、さらに左足を退くことで自らの体捌きを万全なもにしていたのであった。脇構えは刀の長さを対手から隠すことで、間の取り合いに有利にはたらく。すなわち無駄に相手の刀の勢力圏にからだを置かなくて済み、同時に刀の走法を悟らせないという利点があるのだ。だから二人の間の詰め方、足の動かし方をじっくりと観察してみるがいい。上段から前のめりに動く相手に、脇構えの侍は上体をすこし反らし気味に、軸足は右後ろ足にあるのが分るだろう。すでに勝負は明瞭なのである。真剣での勝負とはかくのごときものであることを、この映画の殺陣師はみごとに知悉している証拠であった。
 二つ目の真剣勝負は、椿三十郎と俳優仲代達矢の演ずるこれも雇われた用心棒との決闘の場面にみられる。今度の二人の間は殆どない。ではどうなったか。三十郎は仲代が右手で柄をとり抜き上げて斬ろうとする瞬間に、相手との間をさらに詰めながら、右手ではなく左手で自分の柄を最短で抜き、立った刃ごと仲代の右からだに体当たりをする。同時に右手を刀の棟(むね)に当てて上から仲代の腹に食い込んだ刀身に圧力をのせ、その勢いのままに腹部を抉るように切上げている。この素早い刀と体捌きに仲代の刀は空を斬るしかないのだ。相手との間を消すことと体と刀の捌きでの勝利であった。宮本武蔵は「五輪書」で構えなどというものはないと言っている。真剣の勝負は以上に述べたように、様々な状況によりいかに臨機応変・有利に敵に対応できるかにあるといえる。これがとりあえずの結論である。命のやり取りとなる真剣勝負には様々要素が入り込むので、一概には言えないのだ。ある流派の名人が無名のヤクザ者に殺られないとも限らないのだ。「賽子一擲偶然を排するに能わず」である。
 この対決場面を見ていた若者侍たちが、「お見事!」という声に、「馬鹿野郎!」と椿三十郎は怒鳴る。殺し合いなどはしないほうがいいにちがいなく、刀は無事に鞘に収まっているのが一番いいからである。
 椿三十郎はこのとき、「あなたは抜き身の刀のように、ギラギラしていますよ」という邸の奥方の叱正を思い出していたのに違いない。
 なお、2014.7のブログ掲載の「剣の法」では、より精密な刀法が記されているので、是非、併読して頂くことをお奨めしたいと思う。
 さて、「人生は戦いである」とあの小林秀雄がどこかでポツリと呟いている。三島は「決闘の思想」とまで揚言した。二十世紀の二つの大戦は理性を無くした人間の無惨なたたかいであった。人間と戦争の関係をフロイトがどう言ったか忘れたが、決闘に賭ける真剣な人間の精神が人生という舞台から消えてしまっていることは、また確かなことであろう。人間とは不思議な動物である。
 最後に、知る人には有名な対談のひとつを一瞥して終わりとしよう。この対談は真剣での交わりを彷彿とさせる。

「歴史について」対談(1972年)
小林 三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。
江藤 吉田松陰と三島寺由紀夫とは違うじゃありませんか。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。
江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。
小林 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどと思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ。ぜんぜんそうではない。

「歴史について」との題が付けられたこの対談は、この部分以外では話がかみ合っており、極めて味わい深い対談となっているのだが、実に唐突に起こる激しい応酬である。宮崎正弘が後年対談に立ち会った編集者に聞いたところ、紙面上では取り繕われているものの、実際には「怒鳴りあい」であったという 。


(追記)
 三島事件については、吉本隆明の「追悼私記」の「三島由紀夫」(全14頁)が最も読むにあたいするだろう。事件の日から1月13日まで費やし書かれたと思われるが、屈折を重ねて書かれたと覚しい文章は決して読みやすくはない。が吉本の思想の痛点を突いた事件への言説として関心が牽かれるものだ。なぜなら、吉本は三島が殉じた思想の核心に「自意識に牽きづられそれを引き摺った行為の世界、言い換えれば行為と観念の屈折した世界が自己に照らして見えていたからだ。この詳細は秋山駿が「対談・私の文学」での吉本へのインタビュアーに窺えるものである。ここでは「追悼私記」からほんの一部を抜粋して引用しておきたい。
二つの文章にある論理と心理の間に戦後における吉本の思想の暗闘が横たわっている。

「三島の死は文学的な死でも精神病理学的な死でもなく、政治行為的な死だが、その<死>の意味はけっきょく文学的な業績の本格さによってしか、まともには測れないものとなるにちがいない。」
「彼の<死>は重い暗いしこりをわたしの心においていった。わたしの感性にいくらかでも普遍性があるとしたら、たぶんこの重い暗いしこりの感じは、かれが時代と他者においていった遺産である」(45・11・25~46・1・13)




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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