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名曲アルバム 

 年をとるにつれ、視力の衰えに逆らうことが難しくなる。耳は遠くなり幸いなことに老妻の繰言は間遠になっていく。いままで見えた美人の顔から線がきえデッサンが翳のごとくなるのだ。生きる歓びがローソクの明かりに忍び寄るあやしい闇にとけていくのである。
 眠りにはいるとき昼に録音した名曲スケッチの二曲を聞く。だがこの春から毎日から一日に減ってしまったのはどうしたことだろう。老いての夢は荒涼として悲惨である。いずれ夢を録画して見ることが可能となるだろうがそれを見たいとは思わない。音楽の愉しみについて語るなら、NHKの「名曲アルバム」はテレビ番組の至宝といって過言ではない。名曲とともに流れる映像の美しいこと、外国の都市や公園の佇まい、若い男女の愛の交歓、静かに流れる川や海辺の波の永遠に変らない調べ、青い大空を飛ぶ鳥たちの飛翔、人間はなんと美しいものを作るのだろうとロシアの革命家は慨嘆した。およそ5分の至福のときがなんと幸福をもたらしてくれることか。バッハ、モールアルト、ショパン、ハイドン、ヘンデル、シューベルト、ドビッシー、パガニーニ、ロッシーニ、シューマン、メンデルスゾーン、リスト、シュトラウス、スメタナ、ブルックナー、ヴェルディ、チャイコフスキー、ドボリザーク、ビバルディ、べートーベン、ブラームス、サティー、フォーレ、マーラー、ピアソラ、シベリウス、グリーク、プッチーニ、ムソルグスキー、ヒンデミット、ベルク、ラミレス、フェリックス・ルナ、マヌエルポンセ、レスピーギ、そして、敦盛、五平太ばやし、カナリア、花、刈干し切り歌の日本の歌、etc もう数えたらきりもないほどである。
 滝廉太郎作曲、武島羽衣作詞の「花」を何度繰り返し聞いたことだろうか。これは隅田川を歌った曲だ。美しい花の映像がよかった。福岡県の民謡「五平太ばやし」を聞くと、その威勢のよい太鼓のリズムに元気が湧いた。作詞は火野葦平。中国に出兵していた火野に芥川賞を持っていったのは小林秀雄であった。火野は「えらい奴がきおる」とつぶやいたらしいが、小林はこの火野について一言半句も記していない。戦後数年に自殺したこの作家を誰も論じることもなく、評伝らしきものもない。宮崎県民謡「刈干し切り歌」もよいものであった。
「わが友よ。君があれほど好きなハイドン、その名は調和の聖堂にかくも輝かしい光輝を投げているあの類いまれな人物、彼はいまもなお生きている」
 スタンダールは「ハイドンについての手紙」の冒頭に書いている。若きむかしに愛したスタンダールを私は忘れていたわけではないが、それを知らずとも私はハイドンがなぜか好きであった。
 落ち着きのあるハイドン、静かなるハイドン、あたたかいハイドン、そうだそれらすべてはスタンダールが示した一語「調和」にあったのだ。「調和」こそはもっとも美しく、この世に平和をもたらす。
 ニーチェが一時陶酔したワーグナーとその後決別したニーチェの哲学と音楽について、若いカミユは「音楽に関する試論」で分析にこれ勤めているところだ(「直感」所収)。だが「『芸術』は『理性』に耐えられないという結語をえるために、ショーペンハウアーの音楽とニーチェの哲学を詳細に論じているその論理の階梯をたどる煩瑣には、これを避けているにしくはないように思われる。
 さて、ある深夜、ショパンの「ノクターン」を聞いて私はゾッとした。パリの墓場で眠っているショパンよ、あなたの墓石は美しかった、これでもかと供えられた花束はみなどれも素晴らしいものであった。だがあの深夜に聞いた「ノクターン」だけはどうか墓石の中に隠しておいてくれ給え。二度を私に聞かせないでほしいのだ。音楽は私には平安とこの上ない幸福の慰藉なのであるから。
 



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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