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加藤典洋(2)

 先日亡くなった文芸評論家、加藤典洋については、「加藤典洋は、むずかしい」という氏が村上春樹を論じた本のタイトルに通じるものがあります。それは「敗戦後論」(1997年)と同年に上梓された「この時代の生き方」に散見されるもの。「理解することへの抵抗」や「カフカの言葉」にある「語り口」と言ってもよいでしょう。さらにその文体にある独特な屈折率がこれに加わるでしょうか。
 この本の「時代の課題の形ーあとがきにかえて」からそれを抜き出すと、「この本におさめられた文章の特色を一言でいえば、わたしの発想の原型が、よく現れているということだろうか」という加藤氏(「以下「加藤さん」)自身の自覚に示されているものです。自分の「実感」をまず大切にする姿勢です。「漱石の『自己本位』というのはそれこそジコチュウのことなのだ」というように。村上春樹の小説「風の歌を聴け」の語り手の主人公が口にする「気分が良くて何が悪い?」に「世界に対する肯定の気分」を感じ取り、「『大きな物語』は消え、世界はくつがえった」この時代の課題をみようとする姿勢は、この村上のデビュー作を1980年代以降の感性を先取りしたものという評価から、一連の村上春樹へのフォローが発動する起点となります。「村上春樹は、むずかしい」(「岩波新書」2015年)はこれに句読点をうつものです。それからの4年間を加藤さんは燃え尽きるかのように生きました。
 加藤さんはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の精神分析医のつぎのことばをひきいています。

  未成熟な人間は、思想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間は、理想のために卑小な人生を選ぼうとする点にある。

 そして続けます。「しかしサリンジャーはそうであればこそ、この言葉になんとか負けたくないと思い、この小説を発想している。つまり彼は、ここで、イエスが真理の側にないと証明されてもイエスの側につく、といったドストエフスキーとほぼ同じ場所に立っていると考えてよいので、この言葉が真理だとしても、真理を人に与えられるものと見なすのは間違っている、真理とはそういうものではない、そう読者に語っているのである」と。ここに加藤さんを特徴づけるある「語り口」が顕われているのです。作家の高橋源一郎氏(以下「高橋さん」とする)の論考(「群像」9月号)は短いものですが同時代を生きた高橋さんの鋭敏な観察と温かい触手が感じられます。加藤さんの「さようなら、ギャングたち」への文庫解説から、「あっ、わかられた」と直感した高橋さんの小論には、つぎのような明敏な感想が記されています。
「加藤さんの書くものは、すべて、『世界に新たな氷結を促すため』、『先の文の文脈を殺し、新たな文脈を作る。殺し屋』だったのだ。(中略)。アーレントの『語り口』もまた、『世界に新たな氷結を促す』ための文章なのだ。そして、『そこ』にだけ、個人が存在するのである」(注1)

 ところで、代表作の「敗戦後論」は三つの章立てで構成されています。「敗戦後論」「戦後後論」「語り口の問題」です。加藤さん自身が述べていることですが、「敗戦後論」が政治篇、「戦後後論」が文学篇、「語り口の問題」がこの両者をつなぎ、その他の問題意識と相渉るところで書かれた、蝶番の論である。そして、この起点が、1985年の「アメリカの影」にあり、近く取れば、1991年の湾岸戦争をめぐる日本内外の動きにある。さらに遠くには、加藤さんの中で小説と批評が分裂した、1970年代初期にまでそれを遡及させることができるかも知れないと。
 この単行本の「敗戦後論」の「あとがき」にみられる加藤氏の文章は、氏を語る場合に見逃せないところなので、そのあとの数行を引用しないわけにはいきません。
「その点で、もっともわたしに意味あると思われるのは、『戦後後論』が展開している議論であり、そこに書いてあるように、わたしがこの間の考察でたどり着いた結論の一つは、政治と文学、他者と自己の対立は、その後者、文学、自己の観点に徹する時にのみ、解除される、ということ、つまり、この二つは、対立しない、ということである」
 さて、加藤さんのこの「あとがき」には、その後の氏の著作活動の起点となる重要な態度表明が、迫力のある筆致で綴られていることは明白ですが、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」から「ドストエフスキーとほぼ同じ場所に立っていると考えてよいので、この言葉が真理だとしても、真理を人に与えられるものと見なすのは間違っている、真理とはそういうものではない」や「敗戦後論」の「あとがき」にみられる「政治と文学、他者と自己の対立は、その後者、文学、自己の観点に徹する時にのみ、解除される、ということ、つまり、この二つは、対立しない、ということである」に見られる加藤さんの思考が、それほど容易には理解しがたいところで、この難所をクリアーしておかないと、「加藤さんは、むずかし」ということになるのではないか。そして、そこにこそ加藤さんの主張の要点があるので、追々に敷衍してみていきたいと思います。ここでカフカの青年詩人への助言ではありませんが、急いではならない。ゆっくりとした歩みが必要とされるのです。

 そこで、当面上記の「この時代の生き方」から加藤氏の語りの姿勢を追ってみることにします。それはまず「平和」について学生をまえに語る際に氏が書いているつぎの事柄です。
「なぜこんなに『平和』と口にすることが恥知らずに感じられるか、この言葉が自分にカッタルいか、腹に沁みいるようにそのことを確認した」そして、氏の評論活動を画した「敗戦後論」への言及がつづきます。
「この一年、わたしは久しぶりに戦後という問題に触れ、死者の弔い方を考えなくてはならないとか、戦後の自分騙しから回復しなければならないとか、憲法を国民投票で選び直せだとかいうことを主張してきたが、その始点は、このカッタルさ以外のものではない。どんな場合にも、どれほど遠回りになろうと。人は、自分の実感からはじめる以外にないのである」
 ここから加藤さんが強く影響をうけた吉本隆明が「超越的観点」と「大衆の原像」的観点とに引き裂かれたと言及したオームの事件に触れ、「わたしは逆にこの事件を前に、そういう超越的観点にも『大衆』的視点にも立っていない自分に気づく。(中略)。こういう深刻な問題を前にすると、ホルデン・コールフィールドでなくとも、急に眠たくなる」と述べ、「実感」の誤謬性を強調しこれを喚起しながら、ジコチュウがこの時代に生き抜くカギと大切な技法はひそんでいるのではないかと、この本の「あとがき」を結んでいます。
 氏の批評が文明論までにも及ぶ多様で広範な活動がみられる(群像9月号「江藤淳没後二十年」上野千鶴子)が、この「時代の課題の形」にある「ジコチュウ」「実感」「誤謬性」等は、私に吉本隆明と同時代の批評家であった江藤淳の「私情」を想起させないではおかず、「戦争」に黙って処した国民の一人を自分を同列においた一時代前の小林秀雄を、またこの友人から自分の恋人を奪取され「口惜しき人」となった中原中也を思い出させずにはおられません。加藤さんはこの他人に金を出させて「てんとして恥じないない」中原中也の生活態度を、この本の中でこう注しています。
「中原にたかられて、俗人としてこれを断った人間がいなかった(らしい)ところに、当時の知識階層における『市民社会』の根の浅さが見えている。なぜなら、市民とはてんとして恥じない俗人にほかならないからで、そうした俗人が中原の頬をたたいたならば、どうだったか。ぼくは中原の詩にも、日本の社会にも、少しは良い影響があっただろうと、思わずにはいられない」(1984年)
 断っておきたいのは、この加藤さんが同書で「てんとして恥じないー中原中也」の冒頭に「ぼくは中原中也が好きである。いまは余り読んでいないが、ひところはもうずいぶんと読んだ。ぼくが中原の愛読者になったのは二十二くらいからのことで、これは中原の読者としてはだいぶオクテだということになる」と書いています。
 さきの作家の高橋さん論考によれば、最期となった病床で加藤さんは完本となった「太宰と井伏 ふたつの戦後」(2019年5月)の「自筆年譜」を、ぎりぎりまでていねいに直していたことを担当編集者から聞いていたという。この年譜には「ただ一人読める日本語の書き手として中原中也の詩と散文を読みつぐ」(1970年・昭和45年・二十二歳)とある。オクテであろうとなかろうと、三島由紀夫が自決した1970年に、中原中也を読んでいる加藤さんの姿勢には注目すべき点があります。それは時代の風の勢いから自己の精神の領域を守り、集中する態度の現われがここに見られるからです。
 私のささやかな疑問は、完本に「太宰治、底板にふれる」(初出「言葉の降る日」2016年)が「『太宰と井伏』再説」として再掲され、それが「私のいわば太宰に対する態度変更」の背後にあったものとは、いかなる経緯をたどり、どのようなものであるのかを、明らかにすることを通じて、加藤典洋という批評家の肖像画、せめてその輪郭線だけでも素描してみたいということにあるのです。

(注1)加藤さんと高橋さんの対談(2014.9)にある「正しさの呪縛こそが想像力を奪う」(「対談―戦後・文学・現在」2017年11月)を参照して下さい。


 


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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