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加藤典洋 (6)

 加藤さんはあるところでエドガワ・ア・ランポーの短編「ヴァルドマアル氏の病歴の真相」の異常な結末に快感を覚えたことを告白しています。このポーの短編は死の瞬間に催眠術をかけられ、そのまま生と死とあいだに宙づりになっていた仮死体が催眠術を解かれた瞬間に、みるみると異臭を放って腐敗していくのですが、このところにえもいわれぬ快感を覚えたと述べています。腐敗は特段に負のイメージだけではない。腐敗することにより物質はその隠れた味覚を引き出されるプラスの面もあるのです。加藤典洋という批評家の想像力はポーの短編やカフカのフレーズに牽引されています。それと同質の想像力から、日本の敗戦とその後の成長という歴史的経験を探ろうとしました。1995年の「敗戦後論」は明治維新から120年を経た日本の近代が敗戦により一旦死んだ状態から戦後が始まったのですが、日本人がその戦争における内外の死者を正式に弔うこともできないままに戦後50年を生きてしまった。特に、戦勝国のアメリカとの関係にいろいろな問題を指摘しています。
 ここですこし横道にそれますが、あのカフカの「変身」は日常の中の異常と同次元での異常の中の日常を書いています。セールスマンをしていた家族の一員が、ある朝気懸かりな夢から起きてみると、自分が巨大な毒虫に「変身」している。しかしこの男はその朝も会社へ出かけようとするのだが巨大な虫になってしまった身体は以前のように自由に動いてくれず、自分の部屋から出ることもできません。このグロテスクな光景を家族がそして会社の上司も知ってしまい、一騒ぎになるといういわゆる変身譚の小説です。ただカフカのこの小説は単に読者の意表をついただけなら、この小説が同時代に異彩を放つことはなかったのです。そのような物語はたくさんにあったのですから。カフカの文学の独自性は、それが日常の時間性を特別に変化させることもなく進行するところにあるのです。カフカは自分が書いたこの小説を妹たちに朗読したところ、妹たちは大層笑ったそうであります。
 加藤さんに話しを戻せば、死んだはずの日本が、ポーの短編のように催眠術にかけられ仮死体となり、氏はその腐臭を以前から嗅いでいたことを、あの評論は表現していたかのようです。そしてそこから、カフカの「変身」の主人公グレゴリー・ザムザが自身の身体のねじれに抵抗するように、ねじれた釘のよう東アジアにうかぶ日本という国へ身体へ投影し、このままでは腐臭を発しつづける仮死体の日本の異常性を、新たな場所から出発させることはできないかと考えます。
 だがどのような思考の道筋をたどり、加藤さんがこのような「問題」の発見にたどりついたのか。ひとりの詩人肌の文芸愛好者がその全人生の課題に直面し、文芸評論家として誕生しその活動を開始するには、いかなる精神の機微と陰影が働き、生涯の歯車の回転を促したのか、それこそが解明されるべきことでありましょう。しかし、加藤さんが向かい合おうとした「世界」は、1990年からおよそ30年を経過した現在においては、その様相を著しく変貌させています。
 2017年に、「変わる世界 私たちはどう生きるか」の講演で「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ 幕末・戦後・現在ー激動の世界と私たち」(「岩波ブックレット」)と題した冊子を世に問うています。
 ここで加藤さんは二つの事を話しています。まず一つが、当初の考えにこだわらない。壁にぶつかったら、そこで考えを変える。考えることのうちにある「力」を認め、それを「変態力」と呼びたい。この「変態力」を考えるのに幕末の世界が参考になること。二つめが、護憲論ですが、「もう憲法9條の空文化は、国内的には、未了だとしても、国際的には、ということは、日米間では、ほぼー90パーセントー完了している」とし、これを敗北として受け止めることで、はじめて現実の壁にぶつかることができるという認識を示しています。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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