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加藤典洋 14

 江藤淳からの影響と批判を通じて、加藤さんは1980年代の初頭の文芸評論家として登場しました。だが江藤とは別様に敗戦をくぐった吉本隆明からの刺激と吸収から、加藤さんはその思考の育生と錬成を図ってきただろうことは、高橋さんと加藤さんの講演・対談「吉本隆明がぼくたちに遺したもの」(1201年)に窺うことができます。しかし、ここではもうすこし時間を遡ってみたい。
 「対談―戦後・文学・現在」には2回(「世紀末の終わりに」1999年12月・「存在倫理について」2002年1月)の吉本との対談が掲載されています。現時点で注目すべきなのは後者の「存在倫理について」の方です。吉本の言い方だと、アメリカ同時多発テロについて、「人間が存在することが倫理を喚起する・・・・生れてそこに『いる』こと自体の倫理性を設定しないと、双方を問うことができない」との発言にみられるものです。加藤さんはこれを従来にない「倫理感の拡張」とみてとりました。そこから吉本の戦争体験に照らして「文学的発想」の限界から「関係性の把握」へと外部へでる転回をみるのですが、これは初期の吉本の「擬制の終焉」の二つの論「アルチュール・ランボー若しくはカールマルクスの方法についての諸注」「マチウ書誌論」において加藤さんには既見のことだったでしょう。しかし、ここで加藤さんが特有の姿勢で抵抗を示しています。特有と言いましたが、これが加藤さんという批評家が採用した新スタイルだといった方がいいのです。「批評というのは本を一冊も読んでなくても、100冊読んだ相手とサシで勝負ができる、そういうゲームだ」(「ぼくが批評家になったわけ」2005年)だからでなのです。脇差し一本があれば、免許皆伝の道場主にでも勝負ができるということです。この要諦は自分の力で徹底的に考えるということです。これが加藤さんの「内在」という、自分の身の回りの実感、信念といったものから自分のものごに対する「真」を調達してくるあり方なのです。この「内在」から人ははじめるしかない、そこには権利があることを認めーそれは後年の井伏の「黒い雨」の「正義の戦争よりも不正義の平和のほうがよい」に通じていく地平となるのですが、「文学的発想だけではダメで間違う、そこでノックダウンして膝を屈してはじめて、『関係性の把握』がやってくる順序ではないか」と微細なこだわりを見せるところなのです。加藤さんは自著である「日本人の自画像」で「文学的発想」を否定してはいけないという考え方の土台に立ち、こう言っています。
「ここにいう『関係』というのは、自分の『真』を調達してくるあり方ではなくて、逆に他との関係から、何が『善』かを割り出してくるあり方のことなんですね。それは原型的にいうと、ちょうど近代の国際法の考え方が幕末に日本にもたらされたとき、・・・・そのとき考え方というのとほぼ同じといえます。そういう考え方は当時の日本にはまったくなかった。・・・・人は内在的にしか考えられないし、『内在』的に考えることには権利がある、という中で、そのように考えている限り、けっして殺し合いは終わらない、という状況がヨーロッパ社会の内部に現出してくる。・・・・それで最後に出てきたのが、これ以上殺し合いを続けないため、どちらが正しいか、いずれが『真』かということは互いに不問に付することにしよう、という考え方だった。・・・・相手との関係から、何が最も大事な『善』かということを割り出し、これをそれまでの『内在』的に割り出された『真』に代えたわけです。僕はそれを、『内在』から『関係』への『転轍』と名づけています。この『転轍』の経験の近代日本における原型は、幕末の志士の経験です。」
 ここからさらに加藤さんがこだわりが見られるます。吉本の「関係の絶対性」という考え方がどのように吉本に生れてきたのかを、三島との敗戦のくぐり方の差違を、「世界認識の方法」が「往相」と「還相」と二つあり、「内在」から世界像を繰り込まなければ、「外在」からの世界史は完結しないという「アフリカ的段階」の認識へ、そうした動きを逆に見返した場合の「共同幻想論」の構成のされ方までを、延々と語らなければおれないところに、加藤さんの思考の陰影があり、語り口にこだわる踏み板の特質をみておくべきだろう。
 あまり長々としゃべった加藤さんは、
「・・・これ、どうでしょう。間違っていますかね(笑い)」と吉本へ問い返します。
吉本「僕よりうまく要約してくれています。まったくそうだと思いますね。いうことなしみたいな感じはします」
 こうして対談は一区切りついていますが、吉本とのこの「存在倫理」の対談は、その後の加藤さんの思考につよい陰影をのこしていくものと思われます。








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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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