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コートールド美術館展

 パリで生れた娘の赤ん坊に対面するため、夫婦でフランスへ飛んだのは5年まえのことだった。パリに行くならこの機会に行きたいところがあった。「オペラ座」とミュージックホールの「フォリー・ベルジェール」である。両方ともフランスの絵画ではおなじみの舞台だ。青年時代に親しんだ画家のドガはバレーの幾点をすでに描いていた。エドゥアール・マネの「桟敷席」もあるが、晩年に描いた大作「フォリー・ベルジェール」はお気に入りの一点である。娘の旦那の案内でタクシーに乗り足を運んだフォリー・ベルジェールは建物はかろうじて残っていたが、昔日のミュージックホールの面影はなかった。酒が好きだというわけでもなく、19世紀末のパリの雰囲気が醸されている客人たちでさんざめく酒場、むんむんとしたミュージックホールへの執心がこちらにあったからだ。大きな鏡に映るパリジャンたちが蝟集する遊興のサロン、大都会の秘密めいた快楽をもとめる自由人の気ままな空気の渦と歓楽のざわめき、遊び人たちの姿態の数々、群衆の目と耳を酔わせる、都会の豪奢な一隅がそこには描かれていたのだ。なによりも画面中央に堂々と佇む一人の若い女性が私を魅惑したのであった。女の名前がシュゾンというのは河盛好蔵のエッセイで早くから知っていた。1982年、エドゥアール・マネはこの最後の大作を描いて、翌年、51歳でその短い生涯を終えたのである。ポール・ヴァレリーの「マネの勝利」は高級娼婦「オランピア」の作品の前に呼び集められたあまたの作品が並んでいる。
 「草上の昼食」「ローラ・ド・ヴァランス」「笛を吹く少年」「エミール・ゾラの肖像」「皇帝マキシミリアンの処刑」「鉄道」「死せる闘牛士」「アプサンを飲む男」「菫の花束をもつベルト・モリゾー」「ステファーヌ・マラルメ」「バルコン」等々。
 19世紀のパリの巷から、マネはなんという現代的な題材を取り上げ、それを極上の一品としては画布のうえに掬いとったことだろう。ヴァレリーがそのマネの近代絵画への扉を開けるに費やした画家の努力に注いだまなざし、マネの勝利についてさほどに筆をふるったとは思われない一文は私を失望させるに充分であった。マネの描いたベルト・モリゾーへのご執心は分るがマネという画家の偉大さが語り尽くされてはいないのである。ヴァレリーはまた幾多の錚々たる人物の名前を並べている。
 シャルル・ボードレール、ゴーチェ、ユイスマンス、ステファーヌ・マラルメ、ベルト・モリゾー、エミール・ゾラ、エドガー・ドガ、モネー、ルノアール、クレマンソー等々。
 なんという一流の詩人、作家たちが集合させられたことだろうか。だが「フォリー・ベルジェール」のまんなかに立つこの女性の顔が放つ異彩はどこからくるのか。現代のモナリザなどはつまらぬ連想でしかないし、ましてベラスケスの「ラス・メニーナス」を意識する必要はどこにもないのである。ヴァレリーはマネの人となりを語っているが、このカウンターの向こうに立つ若い女性はすでに人生にむけるなんらの表情をもってはいないのだ。画家マネの若い頃に描かせた肖像画にみられた豹のような野性のもつ精悍さはどうやら蕩尽されてしまった模様である。にもかかわらずこの女性が人を惹きつける魅惑があるのはなぜであろうか。退屈と平凡の極み、人生の倦怠をすべて黙殺しているかのように、すっくりとカウンターに凭れて佇んでいる女性の薔薇色に染まった虚ろな顔の魅惑はどこからくるのであろうか。鏡に映る後姿の女性とは無縁に佇立するかのごとく、まして山高帽の紳士など、それらすべてを超越し、離脱してこの絵の中にだけに現前したかのように、独り立つ女性を詩人のボードレールなら「悪の華」のどんな詩句で飾るだろうか。画家マネの晩年の襤褸、死衣を纏ったイマージュの精霊なではないのか。
  「諦めよ、わが心、獣の眠りを眠るがいい。」(「虚無の味」)

 コートールド美術館は寡聞にして知らなかったが、この英国の紳士は収集家の確かな目の持ち主だったことは明白だ。セザンヌの数点を見たが、私は再びその虜になった。「パイプをくわえた男」に目は自然と吸い寄せられた。「私は時の為すがままに年を重ねた人々の姿がなんにもまして好きなのです」というセザンヌの言葉を読んで、遙かむかしに読んだモンテーニュを思いだした。ウジェーヌ・ブータンの2点が見られたのは嬉しいことであった。ゴーギャンの「ネバモア」。ドガの「窓辺の女」。モジリアーニの「裸婦」。ロダンの「花子」のブロンズは鴎外が短篇に書き、凄まじい形相で見つめる小林秀雄の写真をみたことがあったが、だがその日本女性の美しさはロダンの目にたしかに見えていたものだ。跪いて顎からみた花子の顔はエロスの炎に輝いていたからである。

  




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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