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玉石混交

 本屋で買いもとめた最後の詩集は「めぐりの歌」(1999年)という大判の一冊であった。これは安藤元雄という人の詩集である。ぼくはこの詩人が翻訳した孤高の作家ジュリアン・グラックというフランス人が書いた小説に惹かれていた。というより安藤氏の翻訳の日本語に魅力を感じていたらしいのだ。
 「アルゴールの城にて」や「シルトの岸辺」や「陰鬱な美青年」という小説には、現実と隔絶された人間の「宿命」を精妙な音楽に響かせ、海と森の自然に聳えたつ廃墟に、物語は破局への予感に向かって昂揚していくのである。これを日本語にするには安藤氏の練達にして、瀟洒なフランス語の才能なくしては為しえないものと思われた。
 たとえば、「アルゴールの城にて」の最終の数行はこうである。
「彼は振り向かなかった。彼は遊歩道の真ん中をすばやく駆けだしたが、その足音もあとを追って来た。そして息を切らしながら、彼はいま足音が追い着こうとしているのを感じ、そして逆らう術もなく気が遠くなって行く中で、彼は一振りの短刀の凍ったきらめきが、一握りの雪のように両肩の間を流れるのを感じた。」
 これほどくだけていながら、精妙無比の日本語が、その格調ある薫りを保ったまま、軽快に連綿とつづいていく小説の文章をぼくは他に知らないのである。
 この詩人をお呼びして三日間の現代詩の講座を開催できたことが、いまは、奇跡のように思われてならない。
 むかし新富町の近くにあった旧い会館にお出でいただいたときであった。
「ぼくは銀座では中央通りから東へは来たことがないのです」
 と柔らかな口調で言われても、ぼくには返すことばがなかったのである。
 そしてそっと渡しておいたぼくの詩集の感想を、講座のなかでさぎれなく、低いそれで断固とした厳しい声で口にされたのをぼくは聞いたのだ。
「玉石混交はいけません」
 ああ、なんと破廉恥な詩集をこともあろうに、安藤元雄という類い希な素晴らしい詩人に、ぼくは見せてしまったことだろう。
 玉だけの詩をぼくは書くことができないのだ。そこには石もあることが、ぼくの粗忽な欠点と知りながら、愚かしい若さゆえに、それを避けることが難しいことであった。
 心臓を患っていて、それで奥様がそばに付き添っていたこと、それに一顧もできなかったぼくの無礼を、いまは恥じるいがいないのである。
 真夜中にぼくは最後に買った詩集「めぐりの歌」をそっと開く。

ライラックの花ははや果てたが
イチハツはいまがさかりだ
ふだんは薄暗い窓の下の そこだけが
不意の光を浴びたように見え
よそよりも季節の遅い庭を
それでも確実に何かがめぐっている

            (「庭のしずく」より)

 「百年の帳尻」から「千年の帳尻」まで十三篇の詩には、ふくよかに洗練されたことばの佇まいが見事なすがたをみせて、ぼくの罅だらけのからだとこころにひびいていく。




アルゴール・シルト 美青年




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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