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加藤典洋 8 ー新旧論ー  

 「新旧論」の論考は、それを理解する条件として問題意識の醸成する準備期間が必要なのである。それは加藤が匿名子に投げかけた「私」の存在がまず前提とならざるえないのだ。すなわち、小林が直面した日本の近代文学への懐疑がその出発点になるのであるが、この初発で躓かないような「私」が文学の原野を歩きだしとしても、その成果は乏しいものとならざるえないのであるまいか。だが、加藤が格闘している風景を横目で見ながら、その探求に手を貸す人は少なかったようだ。加藤が「新旧論」において提起した「私小説論」の考察が、「諸賢の批判」の場に開かれることはなく、黙殺されたまま今日まできてしまったのではないか。それは「小林秀雄の世代の『新しさ』」だけではなく、「小林秀雄ーランボーと志賀直哉の共存」にまで及ぶ斬新にして果敢な挑戦であった。そしてここには、「梶井基次郎ー玩物喪志の道」があり、「中原中也ー言葉にならないもの」への探求もみられる。前者は梶井の「新しさ」が、白樺派流の理想の羽根を折ることによって誕生したこと、後者は中原中也の詩が「うた」という「古さ」を身に帯びることで、普通の人間生活の生地へ通じる回路を、デカルトとベルグソンから中也が掴みだした、その「新しさ」の必然の論理を、中也自身の探求の軌跡をたどることにより、これまでの中原中也論にはない独創的な着眼が加藤の論考にはあると思われた。
 このことについては、この評論の末尾にある「『惑いの』の場所ー終りに」の数節を引いて、加藤が思想的なエンターテインメントとして書いたという、力作評論から取り敢えず身を引くことにして、後の論考(「語りの背景」)でまとめて述べることにしたい。

「『新しさ』と『古さ』の共存とは、そうぼく達に無縁なありようではないに違いない。小林秀雄、梶井基次郎、中原中也。彼らに共通しているのは、彼らが、その二つのものの間に、「深い溝」を見、彼らなりのあり方でそれを越えたということである。「深い溝」を越えるとは何か。人は、そのことの意味に気づかずにしか、あることをやれない。それは、暗がりのなかを、とにかく、模索してすすむ暗中模索の一つの経験である、ということもできる。「新しさ」と「古さ」の共存の中で、人は惑う。しかしその「惑い」が唯一の可能性の根拠という場所が、たしかに在る。」

 この始点における、加藤の着眼は非常にユニークであった。その特異な直感と洞察力は、最後まで継続していかざるえないものであったろう。加藤を取り巻く世間の風は冷たかった。その特異な独創が基底に育んだ思考の故に、簡明な理解を阻むものがあったからであろう。かくして、加藤の「孤立」の翳は当初から「宿命」づけられ、その熱意と野心にも拘わらず、解りづらさもここに由来し、加藤は生の場所から身を退いてあの世へと旅だってしまったのである。

 原武史は「戦後入門」の書評で、こんなことばを記している。
「加藤典洋は、果敢な批評家である。その果敢さが、時に大きな反発や誤解を巻き起こす。1997年刊行の『敗戦後論』が、当時台頭していたナショナリズムの流れに位置付けられて批判されたのは、まだ記憶に新しい。(中略)「戦後」とは何かを考え抜いた一人の人間の思考実験として、読むに値する内容をもっている。この批評家を孤立させてはならない・・・。」
 
 さて、私たちは、飛び石づたいに加藤のあとを追わなければならない。何故なら彼が批評の歩行を、ある種の走行へとリズムを変えていくのは、その必然的な遅滞にも起因して、スタートからのその速度と深度は、壮年期になると俄然に広闊な視野を広げていくからである。
 「批評へ」には、その冒頭に「オフ・サイドの感覚―序にかえて」が載っていた。これは「敗戦後論」での小学校生同士の相撲大会に通じていくもので、この場合は、ラグビーの「オフ・サイド」の規則が批評の世界に援用されている。この浩瀚な本の最初の評論「文藝批評の現状」にみられる、「戦争」が批評に与えていた試練を、戦後の批評家がいかに対応したかが問われているとした、言論統制という外からの拘束と自己表現の読者との関係の切り結び方という二つの条件下での試練、そこに国家という「外在力」ではなく、いまの時点では熟さないと断りながら、世界、社会という「内在力」のうちに独自の探求を指し、その具体例に「閉ざされた言語空間」(江藤淳)「無矛盾性の形式体系」(柄谷行人)等を上げている。これらの批評世界の変化の根底にあるのは、「批評家」と「読者」との関係それ自体であると、問題の根本への考察をめぐらしながら、これは読者による「批評」の受け取り直しが、求められているのだと論じているが、これらの文脈にしても、読者の理解は容易ではないにちがいないだろう。だがまだ生煮えではあるものの、ここにはその後の加藤の批評へ通底していく鋭利な直感の閃きが認められことは確かなのである。

 ところでさて、前回のブログにおいて、三島由紀夫との関連で中原中也の詩について、加藤の評論がみられない不自然を云々した。そこでは三島の特攻隊に「詩」をみることに対応しての、中原中也の詩に傾倒していた加藤の弁論の不在を強調していたのだが、加藤にそれができないのは当然のことであった。命がけの決起の行動とは次元の異なる「文学」から、三島の「武」をみてもどうにもならないことは、加藤は全身で知っていたに相違なかったからである。むしろ、吉本隆明の「追悼」に語られていたように、あの自己の文学の尖端で自爆してみせた三島事件の衝撃から、加藤が何を啓示されたかが問題となるだろう。三島は自己の文学の形成と終結を、精細鏤骨の「太陽と鉄」で整理して遺してくれた。では戦後の文芸批評家として立とうとする加藤が、三島の文学と中原中也の詩と散文から、なにをその批評の滋養として吸収したのかが、興味を牽かれるところであろう。
 2004年に発刊した「語りの背景」の「意中の人びと」の中に、加藤はこの二人を論じている。ひとつが「一本の蝋燭―中原中也」であり、ふたつめが「その世界普遍性―三島由紀夫」である。これらが加藤典洋の批評を照らす光源となれば幸いである。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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