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加藤典洋 9  ー中原中也(1)ー

 2004年刊行の「語りの背景」の「あとがき」を読むと、この本に収められた文章のほとんどが「1999年から2004年のあいだ、それほど目立たない場所に発表された」とのことである。著者の自作年譜(2019年作成)に拠れば、この本が発行されたときの著者の年齢は56歳である。2002年「新潮社より小林秀雄選考委員の委嘱をうけ」、その翌年、「明治学院大学の学部の内部事情から早稲田大学へ移ることを決める」55歳。なぜこうした年譜と著者の年齢に拘るかというと、この本の「あとがき」を上記のように書いた著者の年齢が56歳、その前後の著者の経歴に注意を促しておきたいとの思いからである。
 ここでしばし著者の人間に注目してみたいのだ。「料理法から料理の味を知ることはできない」と、著者が言っていたことを思いだし、テキストから離れて人間としての著者の嗜好や性格を知りたいとの思いが頭をもたげてきたからである。
 まずは「あとがき」に添って話しを続けてみることにしよう。
「・・・場所に発表された。しかしながら私にとっては大切な文、他に、小さな論、全集月報への寄稿、書評、エッセイなどが収められている。この時期の文章一束を晶文社の中川六平さんに『丸投げ』し、取捨選択、編集の一切をお願いしたが、しばらくして送られてきたのが、このような内容の一本だった。
 書く文章からだけ推測して、一部の人々にわたしはかなり「強面」の描き手だと思われているらしいのだが、ここに収められた大半の文章は、そういうものではない。一見したところ、尻切れとんぼのような文章が多い。あるいは、はげちょろけた芝生。わたしは「強面」というよりは「尻切れ」である。よって、この本は、わたしの真実(?)をよく伝えている。わたしをよく知る中川さんの力で、わたしの中で、自分としては好きな文章が、うまく摘み取られ、集められている。
 語りの背景、この題名も、中川さんだが、本書の性格を的確に示している。語りは舞台の上で発せられ、それなりにはっきりしているが、背景は暗い。うらびれ、茫洋としている。そして事実、わたしは暗く、うらぶれ、茫洋としており、自分の書くものの中では、こういうテイストのものが、好きである。
 人は、ものを書いたり読んだりしているが、実は、基本的には呼吸をして、ものをたべて、生きている。その、生きているという事実だけが、わたし達がアリを見下ろすときに、やってくる知見だろう。ここでわたしは、時々考えたりもしているが、あとの大方の文章では、うつらうつらとして、間抜けた風情をみせている。呼吸をし、ものをたべ、おだやかに生きている。それがわたしの語りの背景だ。アリとしてのわたしの真実である。
 2004年の心象風景―。
 そんな言葉が心に浮んでくる、つぎに何かが思い出されそうなのだが、言葉にはならない。」
 このあと、夏にカナダのヴァンクーバーに居住したときにみた、落陽の美しいことで名高い浜辺の一風景を、著者はつぎのように記している。
「(中略)。夕日が、赤くなり、いよいよ水平線の向こうに落ちかかり、最後、姿を消すまで、一時間ほどもかかっただろうか。夕日が隠れた。そのとき、背後の森からいっせいにおびただしい羽虫の群れが現われ、浮遊しはじめた。羽虫の正体は、うすばかげろう。うすばかげろうに包まれながら、急に不安に駆られ、帰り支度をしたが、あれは、いったい、何だったのだろう。」
 本の「あとがき」としては、異色と言っていいほどに、自身の心情を覗かせた文章が綴られている。
 この本の表紙を写真に撮った。帯にこんな言葉が並んでいる。
季節をなくしたいまをどう彩るか
 膝に猫、手には本、まなざしはこの世界へ
 文芸評論家のバラエティ・ブック  」

 2004年(平成16年)56歳の年譜の項の末尾から、数行を引用をしておこう。
「7月、『テクストから離れて』、『小説の未来』が第7回桑原武夫学芸賞を受賞、8月、早稲田学新設学部での英語での講義に備え、カナダ、バンクーバーのブリティシュ・コロンビア大学英語夏期講座に参加。11月、東京大学院『多分野交流演習』で『関係の原始的負荷―『寄生獣』からの啓示』と題し講演。同月、晶文社より『語りの背景』を刊行。」
 因みに、この年譜は(2019年3月記す)として、著者が病に倒れ都内病院において書かれたもので、5月16日に逝去。享年71歳であった。
 加藤典洋氏は1948年(昭和23)4月1日の生れ、私は47年で一歳しか年が違わない。私は加藤氏の突然の訃報を知らずいた。去年の5月頃、急に氏に会いたくなってツテを頼ってみたが、この時既に氏はこの世の人ではなかったのである。
 さて、本文に戻り加藤典洋という人間を追ってみなければならない。
「語りの背景」は本の帯にあった「文芸評論家のバラエティ・ブック」の趣きを呈しているのは、氏の「あとがき」のとおりである。5部構成のこの本はいかにも加藤氏の好みそうなバラエティに富んでいる。しかし、4部目の「意中のひとびと」に目を向ければ、この本は本人がいうほどに軽く扱われてよいものでないことが分るだろう。加藤氏の「意中の人」を列記すると、志賀直哉、中島敦、中原中也、三島由紀夫、橋川文三、大岡昇平、埴谷雄高、鶴見俊輔、吉本隆明、なのであり、これらの作家たちは氏にとって重要なる人々になるからである。
 ここで冒頭で述べた私の「こだわり」に立ち戻ることにしたい。
 56歳の大学教授にして、すでに「アメリカの影」の刊行から、およそ20年の文芸評論家としてのキャリアを持つ加藤氏を想像してみよう。それまでの実績と年齢からして、普通ならば著作集の一つぐらいあっておかしくはない。氏が「アメリカの影」で敬意を懐きつつ、にも拘わらず、敢えて批評の的にしぼった江藤淳氏と対照してみることにしよう。もとより、江藤淳氏は学生時代に文壇にデビューした、才能があり、実績もじゅうぶんに残した文藝評論家であり、比較にはなりようがないことは承知の上の話しだ。従って始めから加藤氏との対照には意味がないのだが、氏が56歳のとき、すでに江藤氏は著作集(1967年-全6巻と1973-全5巻)の二つを持っている。年齢は45歳と51歳の時である。二人の文芸批評家の文学、思想、心情については、それぞれ相違があることで、無意味な対照である。そのうえ、江藤氏は戦前の、加藤氏は戦後の人である。時代背景も出版文化の違いも考慮に入れなければならないだろう。愚かな比較・対照である。それにしても、余りに違いすぎはしないだろうか。特に、加藤氏の思想・嗜好は同時代の人達と比較しても、その違いは歴然としている。1980年代のポストモダン派(柄谷行人、蓮見重彦)批判、そして、1991年の湾岸戦争勃発時に、柄谷行人、高橋源一郎から田中康夫、島田雅彦までの若い文学者を中心に組織された「文学者の討論集会」の名で出された「反戦声明」に対し、この対応を批判したことで孤立、以後しばらく文藝ジャーナリズムから遠のかされることによって、それはより鮮明となったものである。だが、それ以前から加藤氏自身が身に帯びていた特異な彩りに違いがあるように思われてならない。
 ここで再度、「語りの背景」の「あとがき」に戻って、加藤氏の素直な文章を率直に読んでみよう。
「書く文章からだけ推測して、一部の人々にわたしはかなり「強面」の描き手だと思われているらしいのだが、ここに収められた大半の文章は、そういうものではない。一見したところ、尻切れとんぼのような文章が多い。あるいは、はげちょろけた芝生。わたしは「強面」というよりは「尻切れ」である。よって、この本は、わたしの真実(?)をよく伝えている。わたしをよく知る中川さんの力で、わたしの中で、自分としては好きな文章が、うまく摘み取られ、集められている。
 語りの背景、この題名も、中川さんだが、本書の性格を的確に示している。語りは舞台の上で発せられ、それなりにはっきりしているが、背景は暗い。うらびれ、茫洋としている。そして事実、わたしは暗く、うらぶれ、茫洋としており、自分の書くものの中では、こういうテイストのものが、好きである。」

 この文章の背後から、一人の詩人の像が浮かび上がってくるのを、私は抗することができないのである。その詩人とは、加藤氏のほぼ二十代の全期間の精神活動に影を落としていた、あの中原中也であることはいうまでもない。



語りの背景



 
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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