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加藤典洋 15 ―「『日本人』の成立」―

 これまで加藤典洋という批評家について、主にその著書から特徴点の幾つかの紹介と検討を行ってきた。およそ50年という期間に加藤は50冊ほどの著作を発表している。その分野は多岐に渡るもので、文学から社会思想、政治・法律論まで、これにいわゆるサブカルチャーまで含めると漫画やJ、ポップスの音楽まで、驚くほどの広範囲にその触手が伸びている。そこに対談や講演、紀行文、村上春樹論、翻訳の類いまで含めるなら、世にある批評家という範疇に収まらない一人の考える作家が想起されるほどである。これこそが加藤という人間がその視野におさめた現代にいたる戦後の風景なのであろう。いったいこの広範な活動を駆動していた光源は加藤という人間のどこからきたものかという疑問にとらわれるが、これを加藤自身のことばでいえば、始原と尖端という「両端の思考」ということになるのかも知れない。これらを「戦後」と「戦後を超える」歴史と時代意識から、加藤が汲み上げようとしてきた、活字となって残されたもののすべてである。吉本隆明から加藤にもたらされた「非知」の思想は、これに寄り添っている。中原中也なる存在はこの同じ場所に横たわっているのだ。それはまさしく言葉以前の領域にあるものにちがいない。加藤の半身はトルソーとなって、テスト(頭脳)と相まってその身体の両端を形成している。貪欲な好奇心はこの両端からやってくる。論理の綿密な操作とその論理を超える直感の二つが、加藤の著書に窺える独特でユニークな視点と認識を保証しているものであろう。鶴見俊輔や多田道太郎から吸収した栄養素は、確実に加藤の身体の養分となって作用したとみて良いものだ。加藤への批判は様々にあるだろう。伊東祐史の「戦後批判」もそうした一つだが、加藤の一側面しか見ていないため加藤の重要な本質を見逃している。初期の「新旧論」の問題意識はその生涯を貫いているもので、一見、戦後の三島由紀夫を論理で詰めて抹殺したようにみえたとしても、加藤のなかで三島は戦後の思想として吸収され、死んでなどはいないのである。三島は首のないトルソーとして生きている。はじめて文学の領域以外で仕事をしたと加藤がいう「『日本人』の成立」における論考の背後で働いているものに着目すればそれは納得されるにちがいない。すでに多くの人が手をつけた「日本人」を、加藤が自ら取り出すその手口を見てみるがいい。
 1988年に書かれた「『日本人』の成立」(「可能性としての戦後以後」1999年所収)の冒頭はこう始まっている。
「エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』は、わたし達が日本人について考える際の、一つの問題視覚を提供してる。
 わたし達は不断その場にいない人のことを話題にして、話に花を咲かせる。そこにその話題の主が姿を現わす。するとわたし達はいちように黙る。ポーは、その沈黙の意味するところを、一つの恐怖の素として、この短篇に動員している。」
 加藤はここに、ある深い「語り」の構造の裂け目が、顔を見せていることを、指摘してこの論考を起こしているのである。この論考における非常に文学的な考察が、「日本人」について日本人が語るという「自己言及性」の無限循環を論じることで、はじめてその端緒につく、必須な問題と理解したその特異な創造的な思考に注意されたい。ポーの短篇に登場する死んだはずの「マンデリン姫」が、血まみれのままに地下深くに生きていることを、加藤はその論考の最終に語っている。語るというそのことによって加藤は、ポーと同様に死んだと思われるものを、新たに現代に甦らすのである。
 「『日本人』の成立」から「日本という身体」を経て「日本人の自画像」までの道のりを辿るだけでも、加藤の思考のスタイルは、驚くほどの射程をもち、その根源は深く、現代的な感覚に満ちていることを知らされるであろう。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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