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森鴎外「高瀬舟」

 京都へいくと、橋の袂へ足がうごく。加茂川の河原を歩く。空を仰ぐと広やかである。そのうち先斗町のほうへの散策となる。私は京都の町中を流れている高瀬川を目におさめないといられない達のようだ。
 鴎外の「高瀬舟」はむかし読んだ。朗読も聴いたように思う。兄の弟への惨劇が強く印象に残っている。今度あらためて読んでみて、やはり良作だと思ったが、これまであまり注意してこなかった役人へ目が移った。遠島を申し渡された喜助の様子にこころを動かされ、喜助からその仔細を訊ねる同心羽田庄兵衛という護送人にである。鴎外は喜助の行状というよりもこの庄兵衛に相当な筆を割いている。

「庄兵衛はまともに見てはゐぬが、始終喜助の顔から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。」

 なぜであろうか。

「夜舟で寝ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたるする月を仰いで、黙ってゐる。其の額は晴れやかで、目には微かなかがやきがある」

 とうとう庄兵衛は喜助に遠島になったなりゆきを問わないではいられなくなる。喜助は怪訝に思いながらも一部始終を庄兵衛へ話す。

「庄兵衛は「うん、そうかい」とは云ったが、聞く事毎に余り意表に出たので、これも暫く何も云うことが出来ずに、考え込んで黙ってゐた。」

 これから鴎外は、庄兵衛の家のこと、日々の暮し、女房と四人の子等やその活計について、筆を近づけていくのである。

「庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。」

 ここから、鴎外は庄兵衛の自分の人生を顧みる方向へと筆を進める。喜助と弟の生活は庄兵衛とは比べようもない貧困にあるが、喜助は足るるを知っている。それに引き替えての自分へと思いが沈むのである。そうして、喜助の弟への行為がどうして罪になるのかという疑問が庄兵衛に起こる。ここには同年(大正5年)に書かれた「最後の一句」の娘いちのお上への鋼い科白に通じるものが感じられる。がここまでが限度で、庄兵衛の自省と疑問は止む。最後の数行を写しておく。

「庄兵衛はお奉行様の判断を、其儘自分の判断にしようと思ったのである。さう思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残ってゐるので、なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかった。
 次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。」

  鴎外は別稿で「附高瀬舟縁記」を書いている。楽に死なせて、其の苦を救って遣るが好い、これをユータナジー(仏語euthannasie)だと解説している。「高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。私にはそれがひどく面白い。」






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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