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アルベルト・カミーユの墓

 フランスのプロバンスにルールマランという質素な町がある。アルベルト・カミーユの墓はその町を好んだカミユが妻と一時を暮した処であったろう。妻のフランシーヌの墓地は花に飾られていたが、隣りのカミユの墓は草木が茂るにまかせた荒れ地にも等しかった。それがカミユの意図したことなのか定かではないが、カミユの文学に少しでも親炙した者には、ごく自然に受け入れられる光景であったのだ。私がパリからプロバンスへ旅をしてカミユの墓地を訪れたのは2018年の10月であった。
 カミユには「太陽の讃歌」と「反抗の論理」というタイトルの「手帖」2冊が1962年と65年に刊行されているが、その後1992年に、カミユの手帖全文(1935年から1959年)が一冊としてまとめられ1992年に発刊された。9個のノートからなり年譜を含め662頁の大著である。第5のノートには、このコロナ禍の現代人に広く読まれた作品「ペスト」への幾つかと「ルールマラン」の町への記述があるので参考のため、引用をしておこう。

 「ペスト」。これまでの生涯において、これほど大きな挫折感を味わったことは一度もなかった。最後まで行き着けるかどうかさえ分らない。しかし、ときどきは・・・・。

 なにかも吹っ飛ばしてしまうこと。反抗を風刺文書のような形で表現すること。革命も、決して人を殺さない人びとも、反抗の布教も槍玉にあげる。ただの一つも譲歩しないこと。

 新しい古典主義という観点に立てば、『ペスト』は集団的情熱に形を与える最初の試みとなるはずである。
 
 『ペスト』のために。デフォーによる『ロビンソン』第三巻の序文を参照すること。生にたいする重要な考察とロビンソン・クルーソーの驚くべき冒険。「ある種の囚われの状態を別の種類のそれによって表現することは、現実に存在する何かを存在しない何かによて表現するのと、同じくらい理に適ったことである。もし私が一人の男の私的な物語を描くという普通の方法を採用していたら、私が述べることはすべてあなたがたにいかなる気晴らしを与えることもなかったろう。」

 「ペスト」は風刺的小説(パンフレット)だ。

 どのようにして砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!

 ルールマラン。幾歳月ののちに訪れたその最初の晩。リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙。糸杉。そしてその糸杉のてっぺんはぼくの疲労の底でふるえている。荘重で峻厳な土地だーその驚くべき美しさにもかかわらず。

 「手帖」のほんの数片から、カミユの内面をのぞきみることができる。「どのように砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!」とはカミユの心底をつねに湧き出てやまなかった声である。ここにでてくる糸杉は、ゴッホの遺作に現われる糸杉を連想させるものだ。
 この度、短篇集「追放と王国」から「不貞」を読んだ。「不貞」というタイトルは意味深長なものがある。因みに、この短篇集は妻のフランシーヌに捧げられているが、妻とは窺いしれない葛藤があったらしい。1960年一月二日カミユは、汽車でパリに戻るフランシーヌと子どもたちをアヴィニオンの駅まで送り、翌日、ミッシェル・ガリマールの家族とともに車でパリに向かう。四日、ヴィルヴァン近くで事故死。享年47歳、44歳で最年少のノーベル文学賞からたった3年しか生きていなかった。遺骸はルールマランに埋葬された。この地に家を購入したのは、ノーベル賞の翌年であった。ちなみに、アヴィニオンは私が愉しい時を過した町の一つであった。

 さて、上記の「手帖」から、たったニ行ほどの文章を、ここに引いておこう。

 なぜぼくは芸術家であって哲学者ではないのか。それはぼくが言葉でものを考え、観念からではないからである。(カミユはサルトルの「嘔吐」の書評で「小説は舞台に移し変えられた哲学以外のなにものでもない」と述べている。)

 ところで、カミユには裏と表の顔があった。平凡な生活者への憧憬と芸術家たらんとする情熱との表裏の顔である。おそらくルールマランの町は、妻のフランシーヌと過したほんの数年の記憶がある場所であったろう。すべてを忘却して家族と暮したほんのわずかな時が流れた小さくて静かな町である。カミユが3年もかけて書いた小説を、たった5行でそれも引用を間違えての批評に、苦い思いを噛みしめた一文もこの手帖のなかに見える。

 短篇集「追放と王国」の冒頭の小説「不貞」は、夫の貧しい商売に連れ添ってきた細君が馴れない土地で、眠れない夜に1人宿屋を抜け出し、「リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙」にも似た夜空を仰ぎ見て畏怖に似た感情に動顛した細君が、宿屋へ急いで戻ったところ、商売の苦労に疲れ果てた夫からその様子を不信がられ、「いったいおまえどうしたんだね」と問われ、「何でもないのよ、あなた、何でもないの」と答える細君のことばで終わる、荒涼として痛切な短篇である。だが、カミユの小説にときおり顕われる「沈黙の宇宙」との一体感、それはまた人生の吐息にも似たこの瞬間はいったいなんであろのだろう。
 私は人間がこの不条理な世界の果てに、カミユの散文のなかに現われる星の燦めき、詩的ななにものかであるように想われてならないのだ。
「手帖」のなかから、「詩」に関するカミユの素っ気ない言及を引きだしておくことにする。

 私の≪神に対抗する創造≫のために、芸術は、たとえそれがなにを目的にしていようと、常に神への罪深い挑戦であるといったのは、あるカトリックの批評家だ。(中略)ペギーもまたその一人だ。≪神の不在から光りを引き出す詩さえある。それはいかなる恩寵もあてにはしないし、詩それ自体以外の、なにものをも頼りにしていない。詩とは、大地によって報われる、空間の間隙を埋める人間の努力だ。≫
 護教論的文学と、神と競り合う文学のあいだに中間はない。

 この文言のまえにある。写真への苛烈な文句とともに、カミユの「不条理」がいかに峻厳な芸術の鏡であったかの参考になるだろう。

 この世界を映すということは、多分、それを変容させることより、より確実に世界を裏切ることだ。もっとも見事な写真とは、すでに一つの裏切りである。

 風、この世界には数少ない清潔なものの一つ。

 墓地からルールマランの町への帰途、私は明るいオレンジ色の実をいっぱいつけたミモザの樹を目にして、ホッとしたことを思いだす。




ミモザ2 ルールマランの村 ルールマラン







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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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