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戯画風「思い出の記」

 先夜寝しなに、ラジオに録音したNHKの「名曲スケッチ」を聞いてみた。二月は私の誕生日の月でした。毎年、この月が近づいてくると私の身体の調子は低下するのです。なぜなのか分りません。三月になって沈丁花が香り、春の陽ざしがさす頃になると不思議と回復に向かうのです。
 ただ24歳のその年だけは例外的に、私はこの月を平常に過すことができました。遠いむかしのことで、いまから思うとそんなことがあったのか、夢でもみていたのではないかと、思われてなりませんが、たしかにあれはその年の二月のことでした。
 私は同じ月に誕生日を迎える女性のために、朝早くから花束と一冊の本をかかえて、小学校の教室に侵入しました。まるで映画のダーティー・ハリー君のように、可愛い子供たちへ自分がいることを黙ってくれるように頼み、教室の一番うしろの小さな椅子に腰掛けさせてもらいました。ぼくがかかえていた花束をみて、女の子の一人が頬笑みかけてくれました。おしゃまそうな顔はこういっているようでした。
「あたしあなたが、これからやりたいことがどんなことだか、わかっているわ。」
 その女の子の気持ちがクラスじゅうに伝わったように、男の子も女の子も、突然の来訪者のぼくを理解してくれたように、好奇な目を輝かせはじめました。
 ぼくは勇気を貰った気分でした。椅子から立ち上がり、クラスの子供たちに言いました。
「いいかい。今日はきみたちの先生のお誕生日なのです。これから、先生が教室に入って教壇のまえに立ったら、ぼくの合図でハッピーバースデーの歌を一斉に唱ってくださいね。」
 このぼくの提案にみんなが賛成してくれました。それはまるで奇蹟のようでした。
それから、ぼくと子供たちは先生が教室に入って来るのを、今かいまかと待っていました。
ぼくはふと教室の壁に「若者たち」の歌詞が大きな字で書かれた紙が貼ってあるのをみつけました。    
 また、ぼくは子供たちにいいました。
「ぼくが先生に贈り物をしたら、ぼくの合図でこの壁に書いてある歌を唱ってくださいね」
 子供たち全員が喜んで笑みをうかべて、また、ぼくの提案にうなずいてくれました。
こうしてぼくの悪戯、思いもよらない奇抜な企みの準備は整ったのです。

 そのうち、廊下にかすかな跫音がして、教室の前の戸が開き、彼女が入ってきました。
背をちじめ子供たちの中にいたぼくを、彼女は目ざとく見つけると、大きな目を見開いて吃驚としてしまいました。
その時、ぼくはタクトを振る指揮者のように、椅子から立ち上がると、「ハイ」と合図したのです。

ハッピーバースデー・トウーユウー、ハッピーバースデー・トウーユウー。

 クラス全員の子供たちの大きな声が教室じゅうに響きわたりました。その子供たちの声に、最初は唖然として驚いた彼女の顔は、こんどは恥ずかしさと笑みが入り交じった顔に変わりました。そして、合唱が終わったときには、とても明るい表情を満面にうかべ、隠しきれない喜びにあふれた顔をみたのです。
 ぼくは花束と本の包みを彼女にわたすため、教壇へと進みました。
「○○さん、お誕生日、おめでとう!」
 とぼくは贈り物を差出しました。ぼくはその時の彼女の顔を覚えていません。なぜなら、そのとき初めて彼女の教室にいる先生としての顔を見て、ぼくは一瞬たじろいだのかもしれません。彼女はぼくの初恋の女性でした。ぼくを苦しめそして喜ばした最愛の女性でした。

 ぼくは子供たちのほうへ向き直ると、また「ハイ」と子供たちに声をかけました。そして、拍子をとって壁に貼ってある「若者たち」の歌を、子供たちと一緒に唱ったのです。

  君の行く道は 果てしなく遠い。
  だのになぜ 歯を食いしばり
  君は行くのかそんなにまでして。

 君のあの人は 今はもういない
 だのになぜ なにを探して
 君は行くのか あてもないのに

 君の行く道は 希望へと続く
 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる 

 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる

 朝一番の小学校の教室での大合唱は、隣りの教室にいた男の先生を驚かせたのは当然でした。
彼女はその三学期を最期に、学校を辞めて俳優への道を歩き始めることが決まっていたのです。その年の誕生日の一日が彼女にぼくの気持ちを伝える最後の機会となったのです。

 それから指では数えきれない多くの歳月が流れ、今年の二月の夜、それは彼女の誕生日の夜でもあったのですが、ラジオから流れた「名曲スケッチ」の最初の曲は、ヘンデルの「ラルゴ」、二曲目は、メンデルスゾーンの「歌の翼に」でした。「ラルゴ」はゆったりとした静かな曲でした。「私のお父さんが好きだった」というこの曲に相応しい一女性の感想が載っていました。例外的な24歳の一年から数年後、ぼくは彼女が舞台に立っている姿をみました。彼女は根っからの俳優だったのでした。「歌の翼に」のって、今も彼女は舞台の上で飛びつづけているのでしょうか。ぼくが贈ったジャンコクトーの「ポトマック」の本を持って。






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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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