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三味線掘

 谷崎潤一郎の短篇「秘密」がラジオで朗読されている。俳優の朗読は読書とはまた別格の趣向で、私を陶酔させ酩酊させてくれた。
 谷崎は明治四十三年に「刺青」で文壇に躍り出るや、翌年には「秘密」を発表して籾山書店から「刺青」として短篇集を刊行している。後に述べるがこの籾山書店から泉鏡花が出した小説に「三味線堀」がある。まずは谷崎の「秘密」へ韜晦して現下の息苦しい世界から、消閑の時を白昼夢で満たすべく、妖しげな下町の陋巷へ気まぐれの散策をはじめてみることにしよう。
 小説「秘密」の冒頭はつぎのように始まっている。
「その頃私はある気紛れな考えから、今まで自分の身のまわりを裏(つつ)んでいた賑やかな雰囲気を遠ざかって、いろいろの関係で交際を続けていた男や女の圏内から、ひそかに逃れ出ようと思い、方々と適当な隠れ家を捜し求めたあげく、浅草の松葉町辺に真言宗の寺のあるのを見附けて、ようようそこの庫裏(くり)の一(ひと)と間(ま)を借り受けることになった。」
「賑やかな世間から不意に韜晦して、行動をただいたずらに秘密にして見るだけでも、すでに一種のミステリアスな、ロマンチックな色彩を自分の生活に賦与することが出来ると思った。私は秘密という物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わっていた。
かくれんぼ、宝さがし、お茶坊主のような遊戯―(中略)ー
私はもう一度幼年時代の隠れん坊のような気持を経験して見たさに、わざと人の気の附かない下町の曖昧なところに身を隠したのであった。」
 そしてある晩、「私」は三味線掘の古着屋で見つけたあられの小紋を散らした女物の袷(あわせ)をみつけ、それを着てみたくてたまらなくなるところから、「私」が女への変身願望の肉感的な小説のディテイルが、谷崎の耽美的な才筆によって紡ぎ出されてくるのである。ここには「悪の華」のボードレールに見られる現実逃避の詩趣は微塵もなく、あくまで曖昧な闇につつまれた陋巷へと作者の筆はその好奇心に誘われていくのみである。
 さて、私が下町へ住居を遷した昭和50年頃に、この小説にでてくる「三味線掘」はその景色はあらかた失われていたが、まだその一部は残っていた。いまは旧弊な鉄筋の都営住宅と社会教育会館が併設された高層の建物だけが残っているが、その頃は一階にはマートと呼ばれた商店街があり、その暗い電灯の薄暗く天井の低い階には八百屋、魚屋等が軒を並べていたのを覚えている。清洲橋通りに面した一角にはいまはもうないが、台東区教育委員会が立てた立て札に「三味線掘跡」として下記のとおりの案内が記されていた。
「現在の清洲橋通りに面して、小島一丁目の西端に南北に広がっていた。
 寛永七年(一六三○)に鳥越川を掘り広げて造られた、その形状から三味線堀とよばれた。一説に、浅草猿屋町(現在の浅草三丁目あたり)の小島屋という人物が、この土砂で沼・地を埋め立てそれが小島川となったという。
 不忍地から忍川を流れた水が、こお三味線堀を経由して、鳥越川から隅田川へと通じていた。堀には船着場があり、下肥・木材・野菜などを輸送する船が隅田川方面から往来していた。
 なお、天明三年(一七八三)には橋の西側に隣接していた秋田藩・佐竹家の上屋敷に三階建ての高殿が建設された。大田南畝が、これにちなんだ狂歌を残している。

 三階に三味線堀を三下り、二上がり見れどあきたらぬ景

 江戸、明治時代を通して、三味線堀は物質の集積場所として機能していた。
 しかし明治末期から大正時代にかけて、市街地の整備や陸上交通の発達にともない次第に埋め立てられていき、その姿を消し
 たのである。     
         平成十三年三月 台東区教育委員会 」

 なんのことはない。こう記した立て札そのものをいま見ることはできないのだ。谷崎が関東大震災の後、関西に居場所を移したのは、こうした新開地の白々しい土地柄を嫌ったからに違いない。だが東京においても見出すことができる地に足をつけた日常を、吉田健一なる批評家は発見して「東京の昔」という小説を文章に認めている。吉田健一の美意識は英国仕込みのもので、「時間」というエッセイとも批評文とも見分けられない特異な文体にそのエッセンスを堪能することができる。それは「言葉」に全幅の信頼をよせることによって、時間は命をえた水のように、空間を超越して流れるものだからである。谷崎の小説家の本能が関西をもとめて、東京を逃げ出したのは当然のように思われるが、それは空間の移動というより、作家の本源は吉田健一のいう「言葉」というものにあり、谷崎は「吉野葛」等でそれをみごとに証明している。
 なお、泉鏡花が「三味線堀」という小説を書いたらしいが絶版となっており、竹下夢二がこの辺りに惹かれた俳文と絵を残しているのはいかにも夢二らしい。そして、安藤広重の「富嶽百景」に「鳥越の不二」の版画をみて、酔狂にも「鳥越奇譚」なる小説を書いた吾人がいたらしいが、このコロナ禍で捜すあてもない。しかし、鳥越川の川筋は今はどこにも見ることはできないが、隅田川テラスを歩いていくと、朱塗りと金色の擬宝珠の橋があり傍に黒い鉄の水門がある。ここが隅田川へ流れこんだ鳥越川の名残だと知られたことは、嬉しいおどろきを覚えた。歩く民俗学者といわれた宮本常一ではないが、しゃにむに歩いてみなければ下町界隈といえどこうした発見はできなかったろう。



  冨獄百景富獄百景




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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