FC2ブログ

胡蝶(「源氏物語」24帖)

 『源氏物語』(瀬戸内寂聴訳)をCDのオーディオ・ドラマで聞き始めてから、ようやく24巻の『胡蝶』まできていました。午前のまだ早い時間、床に伏してイヤホーンから聞える女性の声に耳を傾けていたときでした。天窓から射した太陽の光りが突然に右眼に当たりました。視力を失いかけた目がその時いのちの輝きを得て甦ったのかと錯覚をしてしまいました。春のほんの一時天窓はそんないたずらをするのでした。

(以下、その冒頭のCDの科白を活字に起こしてみました。)
「3月の20日あまりのころ春の御殿のお庭は例年にもましてことのほかに美しさの極みをみせています。照り映える花の色香囀る鳥の鳴き声などをよそのまちの方々は南のまちはいつまでも春の盛りがとどまっているのかしらと不思議にも思いまた評判にもなっています。築山の木立や池の中之島のあたりの緑をます苔の風情など若い女房たちが遠くからでははっきり見られないのを残念がっているようなどで源氏の君はかねて作らせておかれた唐風の船に急いで船飾りおつけになりました。いよいよ池にその船をお浮かべになる日には雅楽寮(うたづかさ)の楽人をお呼びになり船上で音楽をお催しになります。親王(みこ)たちや上達部(かんだちめ)が大勢おこしになりました。」(一部谷崎「源氏」を参考にした)

 ドラマ仕立ての朗読を文章に起こしますと、なんともしまりのない着こなしの一品になるようですが、『胡蝶』はこれぞ王朝時代と思わせる華やかな舞台なのです。春がここぞと思うばかりふんだんと色鮮やかな花々を飾り、恋のためいきときめきが男女のあいだに交錯しながら濃艶に立ちのぼってきます。光源氏が築いた六条院の春の御殿に、女主人である紫の上が龍頭鷁首(げきしゅ)の船を池にうかべ船楽を催し、そこに秋好中宮付きの女房が招待され、春の到来がこれでもかと窺える趣きとなります。見物にやってきた女房達はただうっとりとして、春の御殿を讃える和歌を詠じます。その冒頭四首の歌の後尾のひとつが、

春の日のうららにさしていく船は竿のしづくも花ぞ散りける

 『源氏物語』の研究者の玉上琢彌氏によりますと、胡蝶巻の「春の日の」歌の解説で、滝廉太郎の作曲で今も歌われる「花」の作詞は武島羽衣で、この『胡蝶』によっているとの指摘があるようです。少しよけいなことを記しますと、「新日本文学大系 源氏物語一」にある同じ玉上氏の月報によると、「紫式部の構想では、最初は読み切り短篇で「若紫」を書いて、道長に見出されその庇護のもとに、前を書き後を書き、「玉鬘」十帖を練習したところで、「桐壺」そして「藤裏葉」をものして、長篇にしあげた」と、まるで見てきた調子ですが、その理由は当時は紙が貴重で無駄にできなかったからというのあります。
 
 さて、私事となりますが、家から蔵前橋の通りを15分ばかり、ゆっくりと坂をのぼり歩いていくと、隅田川の流れにでます。

 滝廉太郎が「花」を作曲したのは明治33年とのことでした。

  春のうららの隅田川 のぼりくだりの舟人が
  櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

 パリのセーヌに比べますと、ずっと川幅はせまく川岸の景観もいまいちとなったこの川は、「伊勢物語」の在原業平に歌を詠ませ、世阿弥には「人の親の心は闇にあらねど子を思う道に迷ひぬるかな」という老女を登場させる「隅田川」の謡曲を作らせたのでした。

 ただ床に臥した私の耳朶をうったのは『胡蝶』の出だしにありました。
3月20日は母親の命日であったからです。小学生の私に百人一首を覚えさせた母の追想がしばし『胡蝶』を途切れさせました。あの日、私の背後からがんじがらめにして私の挙動を抑え縛りつけたのは、母ではなくて誰でありましょうか。

 まだ肌寒い春の夕暮でありました。私は房総へ旅立ち海をながめ、空にカモメが飛ぶのをみました。居酒屋で酒をのみ釣り人の雑談の親しいぬくみがこころに沁みる思いがいたしました。

 空にみつ光り仰ぎて房総の海をながめて日は暮れゆきぬ






関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード