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トルーマンカポーティ「イスキア」

 2004年9月13日付、真夏のイタリアから一枚の葉書が届いた。
 葉書はその中央に「SORRENTO」と字がならび、上下に二種の果実、四方に4枚の風景写真に配されたいかにも南国からのものと思われた。文面から、四枚の写真うち一枚は地中海に浮かぶ「イスキア」島に違いなかった。
 「イスキア」はカポーティの短篇集(1992年筑摩文庫)に収められた作品のひとつ。1949年に書かれた旅行記でした。
「何という不思議な、奇妙な魔法にかけられた土地だろうー地中海のencantada(魔法の島)だ」とカポーティは友人宛てに書いています。
「午前中は仕事をし、昼食後は泳ぎ、午後にもう一度執筆、夜は友人たちを村で飲んだり、ジェイン・オースティンを読む喜びにひたった」。
 訳者の河野一郎氏は、「行間のすみずみまで、人生を楽しんでいる25歳の若い作家の喜びがあふれ、一篇の散文詩になっている。まばゆい、きらびやかな文体が美しい」と解説に記している。
 学生時代に「冷血」が発刊された。その原書を秘かに授業中に読んでいたことがあった。カポーティはこの「冷血」でノンフィクション小説という新しい分野を開拓し、小説はベストセラーとなった。しかし、執筆後それまで書いていた豊穣な小説をつくることができなくなったのだ。ここにフィクションを書くことの魔法の鍵があるのかとも想像されたが、この若書きの短篇「イスキア」は大好きな一篇でありました。
「どうしてここにやって来たのかは、忘れてしまった。」の出だしの一行から、「いちばん長い春、それはいちばん美しい春だった。」まで、河野氏のいうとおとり、行間に喜びが溢れるふくよかな読書体験を味わえる思い出の小説でした。
 この短篇集には「楽園への小道」「ヨーロッパへ」「イスキア」「スペイン縦断の旅」「フォンターナ・ヴェッキア」「ローラ」「ジョーンズ氏」「もてなし」「窓辺の灯」「くららキララ」「銀の酒瓶」「無頭の鷹」の12篇が収録されている。
 訳者の河野一郎氏の「あとがき」(1996年6月)はカポーティへのオマージュという入れ込みようである。
 映画「ティーファニーで朝食」を見て以来、私はカポーティのファンとなった。勿論、女優のオードリー・ヘプバーンの妖精のような魅力もさることながら、彼女が窓辺でギターを一人爪弾きながら歌う「ムーンリバー」の歌に若い心が動かされたものでした。
 彼は早熟の天才でありました。「第二の鎖国と言ってもよい戦時中、長らくアメリカ文化から遠ざけられていた当時の留学生にとって、ヘミングウエイもスタインベックもフォークナーもすべてが新鮮な驚きをもたらしてくれたが、しかしこの23歳の作家から受けた衝撃は大きかった。そこには開拓者と自然の宿命的な対決も、失われた世代の自虐的な苦悩もなく、薄いガラス細工のように傷つきやすい永遠の少年の姿が、南部の自然を背景に、精巧な文体で見事に焼き付けられていたからだ」と河野氏は書いています。
 一度対談した三島由紀夫氏は、彼はいづれ自殺するだろうと予言したとおりのありさまで、59歳、心臓発作で亡くなりました。生きることのすべてが病因で彼は死んだのだという表現はあまりに痛切です。その後、最後の長編「叶えられた祈り」を期待と一抹の不安で待ちもうけたように読みましたが、そこにカポーティの復活をみることは遂に出来なかったのです。それが彼と私の最後となりました。

 さて、我が家に舞い込んだイタリアからの葉書はこんなことが綴られていた。
「あれから、ナポリの中央市街地を離れ、電車で1時間ほろの地ソレントという所でのんびりとパラダイス気分でほっとしました。その後、船でナポリに戻り、ナポリ湾からプロチダ島、イスキア島と行きました。イスキア島では岬の突端の海辺で現地の女の子に声をかけられ、沢山の人に迎えられ、誰かの誕生日ということから、星空の下、何十人のイタリア人の中に混じらせてもらえました。また自宅にもお世話になり、ひとり旅の醍醐味を感じています。とても充実した旅でした。今晩パリへ帰ります。海と太陽を満喫し真っ黒です。ここは真夏、でもパリはもう秋です・・・。」
 これを読むと、ああこの時、娘はまだいまの旦那さんに出会っていなかったのだと、その後に訪れた彼女の幸福をしみじみと思わないわけにはいかないのは、父親故の浅はかな感傷でありましょうか。
 私もイタリアへは2回ほど行きました。ナポリから船に乗ったときの幸福感は、今でも胸に小さな太陽を抱いているようという喩えいがい浮かびません。「青の洞窟」を潜るように入ったあの一瞬、それはほとんど僥倖でした。「洞窟」を目指した船が二隻もあまりに波が荒れていると戻ってくるなかで、たった一回でスルーすることができたのですから。船の底の海から射す青い光りのなんという極上の美しさ。私は奥さんのお骨を胸に抱いて「わが青春に悔いなし」と嘯いていた慎太郎の同期の老紳士を思いださないわけにはいきません。
「ホラ、頭を下げないと危ないですよ!」
 いよいよ「青の洞窟」に入ると船が波に揺られながら、その狭い入口を波間の向こうにまじかにした時、私はそう紳士に叫ばずにはいられませんでした。
 船の途上、岸壁の上にフェラーリの会社社長の薔薇色の邸宅を見たとき、いかにもと唸ってしまったのを思いだします。ある詩誌の主宰者であった老詩人が、某音楽大学の創立者の娘であった奥方とイタリアへ行き、ベネチアの海辺を前に感極まって目に涙をうかべていたと聞いて、さもありなんと思ったものでした。



    イスキア
    カポーティ





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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