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J.R.R.トールキン「ホビットの冒険」

 わが家の可愛い子供たちのためにと、昔、岩浪少年文庫創刊記念の特装版を全巻(30巻)購入したことがありました。美しい装丁のしっかりした表紙の本が書棚に並びましたが、上の二人の娘と下の息子の誰ひとりこの立派な少年文庫に少しの関心を払うことがないまま、いつしか子供たちは大人になってしまいました。少年文庫の全集は30年前のままに、今もそっくり書棚に鎮座しています。
 あるとき階段を降りてきた次女のフランスの旦那が、めずらしくもこんなことを言いました。
「お父さん、わたし『ホビットの冒険』を読んだことがあります」と流暢な日本語でこう言ったのです。
 子供たちのために買い求めた本なので、かくいう私は一冊も読んだことがありません。そんな書名の本があることすら知ることはなかったのです。飄々として、およそものごとにこだわりを見せたことのないフランス紳士の一言は、私になんとも床しい感慨を呼び起こしました。この蔵書に関心を示した人間が一人現われたのですから。
 私は早速この一冊を書棚から抜き出してみました。どの本よりも厚いこの「ホビットの冒険」について、ウイッキーには下記のようなことが記してありました。
「この本の著者がJ・R・R・トールキンという英国人で、本はファンタジー小説、原題はThe Hobbit, or There and Back Again. であり、同じトールキン作品の『指輪物語』の前日譚にあたる作品として、批評家からも広く称賛を受け、カーネギー賞にノミネートされたほか、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン最優秀児童文学賞を受賞したこと。そして、今日に至るまで人気を保ち、児童文学の古典的作品と見なされている」
 
 「指輪物語」ならむかし親しくしていた一風変わった詩や幻想の小説を書いていた一女性が熱く語り、書名は度々彼女の口から聞いていたことがありました。
 じつをいうと、私はこの娘のつれあいのフランス人と、およそ文学などという類いの話しをしたことがありません。スタンダールの「パルムの僧院」の主人公と同じ名前の持つ彼ですが、私はフランスの文学について話しをしたことがないのでした。それは日本人同士が漱石や鴎外の話しを滅多なことではしないのと同様です。人にはそれぞれ固有の興味の世界があるので、産婦人科の女医さんと西部劇の話しをする人はまずいないのが相場で、普通の常識と良識があればそれで充分なのです。ただこのフランスの紳士にはどこか日本人とはちがう、ほのかに異なる印象を感じさせるものがあるのは外国人であるが故に当然でしょうが、ただそれだけではないなにかがありました。それは彼の家が旧いフランス貴族の末裔であり、ヨーロッパの歴史を背後に持った欧州人であること、そうした片鱗を想わせる素振りや感性を窺わせるところに顕われるものでした。それはこれだとハッキリと言えるものではありません。茫漠として掴みどころがないなにものかなのですが、伝統を背後にした大人の落ちついた佇まい、自若とした態度が醸す雰囲気からくるなにものかというしかないものでした。なんによらず、彼が特別なこだわりを見せることはないのですが、それゆえなのか、にもかかわらずであるのか、地中海のあの広漠とした青い海のように、そこはかとなく漂うなにかあるものなのでした。
 家人が以前日本の桜の名所を見せに、彼を連れ回ったことがありましたが、無関心というのではないのですが、特別な関心を示すこともなかったのでした。家人はなにか拍子抜けをしたようでありました。下町の小さな家のこぜまい部屋に座っていても、長い脚を掘りごたつ式のテーブルの下に上手にまとめて、その自然体の様子はどこか優雅な趣きさえありました。
 一度、リヨンの郊外の立派な家に住むご両親が日本を訪問したことがありましたが、次女に教えられたのか、二人して玄関の格子戸を開けて入ってきたご両親が「宜しくお願いします」と日本語で挨拶されました。私はその悠揚迫らざる態度に感心してしまいました。このとき、ご両親を息子と娘と子供の三人が泊まっていくトタン葺きの下町の粗末な家に案内している姿を見かけ、そのこだわりのない広闊さに自分を恥じたくらいでした。
 悠々としたこの紳士はよく財布を失くしたりすられたりして娘に呆れられていましたが、あるとき、書きかけの小説の原稿が入っていたバッグを盗まれたことがありました。そんなものを書いているなどは初耳でしたが、パスポ-トの入っていたバッグはもどることはありませんでした。その後、フランスで原稿は復原され電子書籍で発刊されたとのことでした。題名は「夜明けは近い」(「L’AUBE SI PROCHE」)というのでした。歴史や伝統や文化はその地へ訪ねれば、自ずから見えてくるものでしょうが、その本当の姿は個々の人間の中に深く血肉化されているもののように思われてなりません。それが世界のどこであれ、そうした総体を受け入れることから国際関係は生れて世界への扉は開かれたものになるのでありましょう。話がどうも大きく逸れてきたようであります。
 さて、ここらで急いで、「ホビットの冒険」に話題を戻すことにしましょう。
 NHKの番組に「グレーテルのかまど」というお菓子を紹介するテレビ見ていたときでした。シードケーキというお菓子が英国にあるとのことで、このお菓子はJ.R.R.トールキン「ホビットの冒険」に出てくるとのテレビの解説がありました。甘いものが好きな私がこのお菓子に耳を立てたのは当然でしたが、トールキンの「ホビットの冒険」という本の名前に、前述のフランス人の娘の旦那の一言が甦ったのでした。ほとんど死蔵されていた書籍から、一冊の本が生き返ったように名前を挙げたのです。
 今度、機会がありましたら、このぶ厚い本というよりは、シードケーキなるお菓子を是非食べてみたいのです。そして、フランスのプルーストのマドレーヌはともかくとして、この「ホビットの冒険」のなかにでてくるお菓子を食べながら、ホビットの冒険について話しの花を咲かせてみたくなったのであります。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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