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「武道」という風景(1)

 退職後の父が相撲をテレビでよく観ていた。終わると酒をひとしきり飲み夕食をするのが常であった。同じような年齢になり私も相撲をみることが多いが、武道をすこし嗜んだ者の目で相撲を観ているらしい。土俵にあがった姿格好、顔つき、挙措動作のいちいちの細かい動作に目が自然に注がれる。相撲は国技と言われるがその意味がよく分らない。日本の歴史の古書に出てくるからなのか。伝統芸能ではないようだ。ならば、武道なのかというと、内田樹によれば、K―1で元横綱が秒殺されたことから格闘技としての有効性は疑問らしい。力士という言葉から士道というものを考えるが、現代の相撲から士道らしきものは想定できない。
 数年前に亡くなったある文芸批評家がデビュー作の本のはじめに、地方の小学校の生徒が山に遠足に行き、他校の生徒と出会い相撲を取ることになった。両校から代表がでて取り組みが始ったが、自校の代表が土俵際まで追い詰められ腰を落としそうになったところで、偶然相手の腹に触れていた足で巴投げをした。すると自校の仲間から拍手が起き、自分もそれに倣った。だが後ろめたい気持になったらしい。相撲が突然に柔道に変わったのだ。この文芸批評家は日本の戦争直後を、この相撲から柔道になった小学生のエピソードから、敗戦を糊塗して戦後を生きてきた日本人の姿を投影する批評文を1995年(平成7)に書いた。タイトルは「敗戦後論」である。
 上記の著者と同世代の内田樹氏が「武道的思考」という本を2010年(平成22)に刊行している。当時、合気道六段の氏が書いたこの本には達見にみちた武道論が盛り込まれている。本の帯に「武道の極意は他者との共生にあり」というフレーズを見ることができる。
 この二冊の本のあいだに、「現代太極拳攷-自分を開く」(高橋清治著2002年・平成14)という小さな活字の517頁の大著を置いてみると、後に述べる養老猛司の「身体表現」と中国の太極拳の歴史がパラレルに見え出すのは不思議ではない。中国は日本以上に「言語表現」に強い重心がかかっている国柄と思われるからである。
 ともあれ、これらの身体に関わる三冊の本から、世紀の変わり目の前後20年の日本人の心模様が見えてくるような気がしてきた。だがそれは錯覚に過ぎないのかもしれない。あるいは、與那嶺潤の「中国化する日本」のように、千年というスパンで歴史をみる目が必要なのかも知れないが、試行錯誤を覚悟でやらなければ、新世紀が始って20年という時代の分水嶺に楔をうつことはできないだろう。
 最初の本は文芸批評家の批評文であり、後の二冊は武道(武術)を論じている。ここにもう一冊の本「身体の文学史」(養老猛司著1997年・平成9)を置いてみると、さらに面白い日本の文化の病巣の一面が見えてくるのかも知れない。この養老の一書が別段武道と関連するわけではないが、解剖学者の養老氏の手には死体を切るメスが握られ、三島をはじめ日本文学をみる養老氏の視野に武道的な一閃が見えないこともないからである。
 2021年の現在は昨年から続くコロナ禍の終息は依然として見えてこず、世界はコロナパンディミックスの渦中にある。他方、地球規模の気候変動を含む問題に直面している。コロナも気候問題も身体としての人間を直撃してくるものである。
 養老猛司氏の「身体の文学史」は伝統的な日本社会の枠組みから「身体の喪失」とでも「悩化」とでもいうべき表現をとりだして、日本文学のネジレをさらに捻るかのごとき通覧が意外な面白みをみせてくれる。人間の自然を見事に描いた深沢七郎の「楢山節考」を気持悪いと言いながら評価した三島由紀夫を、養老氏は典型的な脳化社会の人間だという。表現としての身体を徹底的に追求して三島は生首になったのだと。
「明治以降、われわれは身体表現を消し、言語表現を肥大させてきた。それに対して、三島は身体表現へ向かう時代の必然性を、自己の内に体現していた。なぜなら両者は、どうしても相伴うしかないからである。そう思えば三島は戦後の日本文化そのものであり、三島を悪し様に言おうが、称揚しようが、それは自己言及に過ぎないのである」
 養老氏はあの難解な三島の「太陽と鐵」をお読みになり納得するものがあったようだ。「さまざまな事情が絡んで複雑化したとはいえ、『三島という事件』ほど日本社会と身体という問題を鮮明に表示したものはなかった」とは「身体の文学史」からしか出て来ない至言であろう。
 氏は日本の古典文学はまだ勉強していないと言及していないが、紫式部の源氏物語は中村真一郎の「色好みの構造」という文脈におくまでもなく、十二単衣に隠された女体への優雅な賛歌として現代人を驚嘆させずにはおかない。つぶさに物語へ参入すればそこに式部の内面をくぐりぬけ、平安朝時代の「美の祭典」なる光景を見ることができる。養老氏の身体論は古典までその水鉛を下ろすことが待たれるものだ。
 ところで、今年1月のブログで私は「肉体の学校(1)―呼吸を学ぶー」を書いた。そこで発生形態学者の三木成夫の「ヒトの身体」を生物史的に考察した本の一端を紹介した。因みに、三木氏は養老猛司の先輩格の人で、三木氏の研究成果は後輩の養老氏はもちろん多くの人達を刺激した。その理由は三木氏が人間という高等動物の研究に際し、その身体そのものの発生の起源を遡る自然科学者であり生物学者として、地道な観察と研究を徹底した学者であったことによるだろう。「敗戦後論」等一連の戦後における日本の在り方に批判の眼差しを注いで、生き急いだともいえる加藤典洋を含め、この加藤が私淑した吉本隆明が70歳を過ぎて三木氏の著作に出会い、彼の言語論の根拠に自信を持たせた三木氏への感謝の文「三木成夫『ヒトのからだ』に感動したこと」(吉本隆明)を一読すればいいのだが、その後、三木氏の「海・呼吸・古代形象」(うぶすな書院・1992年)の吉本氏の「あとがき」を読み、「言語以前の音声や音声以前の身体の動きのところまで、拡張できる見とおしが得られた」という感想から多くのことが示唆されたが、仔細は後に述べることにしたい。一言だけここに記せば、詩人の中原中也の「名辞以前」がここに想起され、加藤典洋氏の二十代の耽溺がよみがえるとだけ言っておきたい。
 三木氏が懐いた「生物のすべての構造を、粒子に分解し、すべての機能を数式であらわしてこと足れりとする現代の風潮」(P6)「生物に限りない興味をいだいた晩年のゲーテは、“人間は理性のおかげで、いかなる動物よりも動物臭くなった“の述べた。そして、われわれの中にひそむ動物性の正体をきわめることによって、動物界における人間の位置をあきらかにしょうと試みた。しかしながら今日、この”動物的なもの“とはいったい何であるかという問題に関して、人々ははなはだあいまいな考えしかもっていないように思われる。」(P15)さらに、「われわれは、心臓と脳によってそれぞれ代表される植物性器官と動物性器官の関係を、動物分化の歴史のなかでながめてきたのであるが、そこで一見してわかったことは、動物性器官が植物性器官をしだいに支配するようになる、というひとつの出来事であろう。それは、生の中心が、心臓からしだいに脳へ移行していくという出来事であって、このことは、“心情”の機能が、しだいに“精神”のそれによって凌駕されつつある人類の歴史に見るまでもなくあきらかなことであろう。」(P39)に、養老氏が同調こそしろ異論を挟む余地はないにちがいない。
 これらの三木成夫氏の思考は咀嚼され尽くされ、養老氏の「身体の文学史」の独創が生まれる。2009年の暮れに行われた養老氏と加藤氏との対談は、批評家の加藤が「身体の文学史」をバサバサと大根でも切るように要約して、養老氏の肖像を一筆で描いてさすがと思われるので、ここに一瞥しておくことにしよう。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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