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「武道」という風景(2)

 文芸批評家として40年ほどの履歴をもつ加藤典洋氏には対談が多くある。加藤氏は「あとがき」(「対談」戦後・文学・現在2017年)でつぎのように告白しています。自分は心服している相手を前にすると口がきけないか、きかなくなるタイプで、対談中に場がもたなくなることがあるのだと。そういう事情が逆にこの対談では作用したためか、加藤氏が一方的に話して、最後に「いやあ、今日は聞き入ってしまいました。真摯に読んでくださって、本当にありがとう」という養老氏の感謝で終わっています。
 「なんと激しい本だ」という加藤の感想から、フーコー、レヴィストレース、ラカンを連想させる非常に大きな構えをもつ作品で、「身体の喪失」=「脳化」を語ることでパラダイムシフトを生じさせるものとなっている。加藤はここから「アフリカ的段階について」の吉本隆明を、「近代以前」の江藤淳を思い浮かべます。なぜなら、養老氏が「身体の喪失は江戸時代から始ったとこの本で書いているからだと。
「江戸をどう捉えるかについてはいろいろあるが、ぼくが考えついたのは、西洋的には江戸は『経済的に近代』なのだけど、『政治的には中世のまま』だということです。そのふたつが一緒くたになっているから、経済と政治を分けて考えていかないといけない。明治維新が政治改革とされるのは、そのためではないか。そんなふうに想っていたら、この本にもそう書かれていた(笑い)。
 だからこの本を読んで、『和魂洋才』とか『世間』とか養老さんがいう場合の言葉の意味がはじめてよくわかりました。そこには二重の意味がある。江戸という日本の近代でははじめてうまれてくるのが『世間』、明治という断絶をすり抜けて江戸的近代を明治以降の西洋近代につなげた工夫が『和魂洋才』です。ともに『使える』。でも中世以降の『身体の喪失』の産物でもある。肯定的と否定的。二つある。ニュートラルだから、両義的に捉えられるんですね。養老さんの言うことがときどき分らなくなるのは、そのせいもある(笑い)。」
「結局、芥川を中心にして、漱石、それから私小説論のあたりの日本近代の動きは、コップの中の嵐だと、養老さんは言っているんだと思うんです。社会的自己と自己的自己の喧嘩だから、江戸と明治の区切りのようなもので、実は同じ穴の狢ではないかと言っている。僕もそうだと思います。中世のほうから、もっと大きな枠組みの中で身体の方から見ると、その両方がすでに身体を忘れているという点では同じなんです。こうやって大きく枠をとらえると、コップの中の嵐を囲んでいる、もっと大きな絵が見えてくる。非常に刺激的で、この本にだいぶ教えられました。」

 この対談の加藤氏の熱度と奮闘ぶりには、養老氏も一驚したと思われますが、思想が内部で熟しているときには外からのいかなる刺激もその反響が現われるものでしょう。「なんと激しい本だ」という初めの加藤氏の反応は、自他の境界を消すほどに働きかけてくるものへの驚嘆です。あたかも若き小林秀雄がランボーにであったときの衝撃に近似したものです。小林から「政治」をひきだすのではなく、もし「身体」をひきだす野蛮人がいたなら、「小林の身体」として大きな示唆となることができたでしょう。それこそ加藤氏が、小林はなぜ戦争をゼロのまま通過することができなかったのかという批判への反問になり得たでしょう。その可能性をもった批評家といえば秋山駿しかなかったが、秋山は「魂と意匠」で彼本来の球を小林の身体へ投げ込むことができなかった。加藤氏は心服している養老氏をまえに一人しゃべっているが、それは自分の楽器を鳴らしているかのごとき趣きがあります。このとき、加藤氏の遠い背景にあったのは中原中也の影でした。いや、加藤が「チンケ」といった三島の生首だったのかも知れない。彼が一読して破ってポケットに入れたというほど惹かれた三島の短篇「仲間」は三島が頭ではなく、「日本的霊性」(鈴木大拙)における身体性の共同を象徴させる好作品でした。加藤氏はこの短篇に「激しく」反応しながら、戦後の啓示を受けた三島の文学を切り捨てるという、両義的な判断を強いられたのは加藤が脳化=身体で三島に向かい合うことが難しいことだったからです。敢えていうなら加藤は首のないトルソーで三島の文学に向き合うと同時に、中原中也を自己の思想にしっかりと繰り込むべきでした。

「最初の話に戻ると、そういうわけですから、『身体の喪失』から見る他に例のないこの時代の区分がわかると、この本はますますおもしろくなります。『中世』という見方がこの本のいちばんの醍醐味ですね。いろいろなことがこの見方にあてはまってくる。(中略)なんだかぼくばかりが話して申訳ないのですが、もう少し感想をお伝えしてしまいますね。
(養老)ぜひお願いします。今日は加藤さんの話をじっくりと聞くつもりですからご心配なく。
(加藤)(中略)今後は、外在的に見た「西洋化=近代化」の見方とは違う、内在的な「近代化=西洋化」の問題を取り出さないといけないと思う。そのためにも、中世の視点を持たなくてはだめだと感じました。
 平安時代が崩れて中世が始ったときになにが起こったのか、この本は、声を大にして言いたいけれど、歴史の見方を変えますね。フーコーだのなんだのという前に、日本人が自ら考えなくちゃわからない。」

 養老氏の「バカの壁」は2003年(平成15)であり、この対談は2010年の2月。「対談」として本になり養老氏との対談が納められたのは2017年9月です。私の見るところ、この対談での加藤氏の興奮は、自分がもっている課題に養老氏の本が深いところで照応したからで、加藤氏はその蠢動にはげしく共振しているところからやってきていると思われます。

 加藤氏はこの「対談」後、ほぼ1年間の休暇を旅行で過し、喜びに満ちた軽快な「小さな天体」を上梓しますが、同年に2011年3.11の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故に遭遇、黒表紙の「死に神に突き飛ばされる」を発刊。翌年、副題に「戦後思想の射程について」をもつ「ふたつの講演」を出版、同年に心服していた吉本隆明の死去、つぎにその翌年には息子の死去に遭遇する不幸が重なります。それから加藤氏の生き急ぎが始ったかのように、「人類が永遠に続くのではないとしたら」の翌年「村上春樹は難しい」を、そのあと、「戦後入門」に神経をすり減らしこれを上梓、翌年、矢継ぎ早に三冊の本「日の沈む国から」「世界をわからないものに育てること」「言葉の降る日」を出版します。「もうすぐやって来る尊皇攘夷の思想のために」はその翌年で、養老氏を含め13人の「対談」本を刊行、2017年の「敗者の想像力」以降、体調の異変があったことが推測されるのです。
 なぜならこの年の暮れ、毎年、鎌倉の養老宅で開催される内田樹等も含む忘年会に出られなくなった事情が、「加藤君は調子がわるいらしい」という養老氏の伝言のことばから窺われるからです。そして翌年2018年の一年の空白。2019年、「九条入門」が必死の思いで書かれますが、この年の5月に入院、逝去となるのです。享年71歳。
 武道に関して、養老氏はすでに相当な人物であることは、「私の身体は頭がいい」(内田樹著2003年)を一読しただけで想像がつくと思われる、ただその詳細は分らないながら、甲野善紀先生をご存じというから”通”であることだけは確かです。この本の中での次ぎのつぶやきをしているので特記しておきたい。
 「侍の起源というのは、歴史学者がはっきりいわないけれど、わからないんです。」
 「・・・・・・けれど、わからない」
 こういう表現をする人は、もう”達人”だと思ったほうが、いいのである。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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