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「武道」という風景(3)

 禅寺の玄関を上がり参禅者名の記入のため座布団に座ると、目の前の壁に次ぎのようなことが墨書した紙が貼ってある。
「他人の禅定を批判することはけしからぬふるまいである」という厳めしい一文を読まされることになる。
 内田樹氏の「武道的思考」にも「以前、他人の技を批判してはいけないと先生に教えていただいたことがある。どうして他人の技を批判してはいけないのですかとお訊ねしたら、先生は『他人の技を批判しても、自分の技がうまくなるわけではないからだ』と答えられた」
 タイトル「論争するの、キライです」に書かれていることであります。
「私はこれまでいくつかの論争を読者としてみてきたが、論争の勝者から学んだ知見はあまり多くない。むしろ論争で勝つ側の人間は、別のかたちで何かを、それも論争の勝利で得たよりも多く失うということを学んだ」と書いている。さすが「私の身体は頭がいい」という文庫を出した人らしい。内田氏は難解で知られたレヴェナスの研究家で翻訳家。卒論はフランスの哲学者メルローポンティーだという。学生時代から私も惹かれた哲学者で、「海の賦」(幻冬舎2017年)を自費出版したとき、収録した「アンリ・マテュス試論」はポンティーの身体論から学んだことを滋養として、ブリジストン美術館で昔見ていたセザンヌの肖像画の印象がその起点となっていた。ポンティーの「眼と精神」は画家について私を啓蒙し多くの啓示をうけた書物でした。
「画家は『その身体を携えている』とヴァレリーが言っている。実際のところ<精神>が絵を描くなどと考えてみようもないことだ。画家はその身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える。この化体(けたい)を理解するためには、働いている現実の身体、つまり空間の一切れであったり機能の束であったりするのではなく、視覚と運動との縒(より)糸であるような身体を取りもどさなくてはならない。」
 前回の文脈でいうなら、現代における身体表現へのパラダイムシフトに寄与した一人としてメルローポンティーは看過しえない哲学者だろう。内田氏はポンティーの「肉」(la chair)に強く惹かれたらしいが、武道への志向は身体知から発出してきたもので、合気道は偶然の出会いであったという。合気道を始めた者が、長い居合道歴を紹介したときから、初心者であるにもかかわらず痛烈な技を仕掛けられ閉口したことがあったそうだ。開祖の植芝盛平へ尊敬はありながらも、それ以上、畳の道場での稽古は遠慮をしたと仄聞したことがありました。修行人口が増えるに従い、武道においても質の低下は避けられないようです。あるいは、これらも後に述べる戦後における武道のスポーツ化がもたらした弊害なのかも知れません。
 幸田文が父・露伴から家事を習ったとある。露伴は「薪割りをしていても女は美でなくてはいけない、目が爽やかでなくてはいけない」と娘に教えたらしい。
 鉈は「二度こつんとやる気じゃだめだ、からだごとかかれ、横隔膜をさげてやれ。手のさきは柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな。木の目、節のありどころをよく見ろ」と言った。横隔膜を下げろとは腹式呼吸で、胸に息をたくさん入れろということであり、丹田に気を落とせということなのでしょう。
 次ぎは文が露伴の雑巾がけの姿を書いたもので、関川夏央「家族の昭和」(新潮社、2008年)の内田樹からの孫引きですが一読に値するものと思われました。
「すこしも畳の縁に触れること無しに細い戸道障子道をすうっと走って、柱に届く紙一ト重の手前をぐっと止る。その力は、硬い爪の下に薄くれないの血の流れを見せる。規則正しく前後に移行して行く運動にはリズムがあって整然としてい、ひらいて突いた膝ときちんとあわせて起てた踵は上半身を自由にし、ふとった胴体の癖に軽快はこなしであった。」
 内田氏は書いている。「どうやって身体と雑巾と板目を『なじませる』のか、どうやって身体と鉈を薪を「ひとつのもの」として操作するか。雑巾がけが爽やかに、美しくできるようであれば、人間としてかなり「出来がよい」と判定できるという評価法が露伴の時代まではしっかり根付いていたのである。」
 露伴が教えようとしているのは、「主体」と「対象」の二項対立をどう離れるか、ということだ、と。
 「私」が「剣」を「揮(ふる)っている」というふうに、主語と他動詞と目的語の構文でこの動作をとらえている限り、この反復練習はただの苦役であり、そんなことのために時間を費やしても意味がない。脳ではなく、身体で考える人間を、養老先生は「野蛮人」と呼称し、これを内田氏は「入力」ではなく「出力」を軸に世界を文節するタイプの人間と言い換えています。
 コロナ禍の現在、体育館等の広い稽古場の利用できない。戸外で真剣を揮うことは禁じられている。であるなら部屋の中での稽古をするしかない。身体で考えることを稽古の基本にすればいいのだと、私は床の雑巾がけから始め、マットの上での柔軟体操のあと、正座の基本から、身体をもって考えることをやりだした。足の腿と踵と尻の関係を試行錯誤して身体に聞いてみる。正座の姿勢が横からみて、ちょうど木刀を床に立てた線に似ていると、八段範士から教わったことを思いだす。股間節の微妙な動き、首から頭にかけての傾斜は、仏像に似ているのは不思議な符号ではないか。私も「身体の内側で起きていることをモニターする」という稽古の基本から始めたのであります。すると、50年前に大学の授業でとった「柔ら」の先生やら、稽古中に聞いたさまざまな「声」が身体の中に、甦りだしたのには驚きました。あたまが忘れてもからだは覚えているのす。
 昔、参禅していた禅寺の老師がその後、静岡県三島の龍沢寺の老師におなりになったが、静まった坐禅の最中でも「死坐禅」をしている者へ、「うるさいゾ!」と一喝されたのには驚かされました。「首が斬られても動じない心構え」を要求されたのを思いだしたのです。稽古の前後に結跏趺坐の坐禅を日課としました。
 頭をゼロにして、呼吸をならうためなのだ。内外の海で30年ほどダイビングをしてきたが、初心のころは、背中のボンベから吸う空気と吐く空気の音がやけに耳に聞えた。人間は呼吸をして生きていることを気づかせてくれました。もしボンベから空気が遮断されたならと考えるとゾッとしたものです。NHKの高校講座の生物で、「呼吸は酸素を用いて、有機物を二酸化炭素と水に分解をし、エネルギー(ATP)を取り出す反応」と教わったが、海から陸にあがった生物がエラ呼吸から肺呼吸を覚えることに、どれほどの時間を要したのか。一時、私の顎関節症の治療にあたられた医師はやはり三木成夫を尊敬していましたが、肺呼吸に失敗して海に戻った鮫の研究をしていると仄聞したことがありました。信仰は呼吸のようなものだと言ったのはかのパスカルであったか。
「ふだんより時間があるので、呼吸法をする。呼吸法をしてから形を遣うと動きに『甘み』が出てくる。」とはくだんの本に記されていることである。『甘み』とはなんという表現だろう。これは身体で感覚してみれば、自ずから知られることだろう。
 私は老師から数息観を教わったが、これは心を静め三昧の力を養う修行の方法です。内田氏は武道はスポーツではないとはっきり言明しているだけではありません。GHQの禁制をかいくぐる方便として武道はスポーツの仮面をかぶったが、「日本の武道史上最大の失敗は、生き残るために政治的工作をしたことではなく、政治的工作をしたことを隠蔽したことだ」と指摘をしています。これは加藤典洋の「敗戦後論」を想起させますが、武道の生き残りのための「適応」であり、本筋からの逸脱であった。その「適応」に無言の指示を与えたのは日本国民だが、その「適応」を逆に冷静にたどろうとしなければ、武道は「還るべき原点」を見失うと述べています。これは大変に重要な言葉です。剣道が当てっこに成り下がり、柔道が勝てばいいとその技が拙劣となり、居合においても段を欲しさに裏金が動く不祥事があるならば、戦後75年の現今の政界同様に、その退廃は目を蔽いたくなるでしょう。
「刃筋が通る」ということはどういうことかを実感すること、剣には剣固有の動線があり、人間は賢しらをもってそれを妨げてはならない」(「武道的思考」P43)
 そこからレヴェナス研究家の内田氏は深甚な疑問に逢着します。武道の「主体」とはいかなるものであろうかと。近代の「野蛮人」として、内田氏はこのデカルト的な省察を、「『我思う』ゆえに『我あり』ではなく、『我思う』ゆえに『思う』あり」の方に分岐する、と述べています。「主体なんてなくてもぜんぜん困らないし、むしろそのようなものはない方がましだ。こうした逆説的状況に学生諸君を投じるために、お稽古をしているのである」と、内田氏はデカルトの有名な仏語を、つぎのように書き改めました。
 Je pense donc ça se pense .


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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