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武道という風景(5) 映画「ガンファイター」に寄せて

 日本の時代劇でも外国の文学や映画においても、私が魅了されるのは1対1の決闘のシーンであります。黒澤映画では「七人の侍」と「椿三十郎」に見事な場面がありました。西部劇では数えたらキリがありませんが、原題:The Last Sunsetの「ガンファイター」という映画の決闘が好きなのは、そこには普通の西部劇映画以上のロマンチックな名場面をみることができるからでした。
 メキシコの大平原をアメリカへ移動する1000頭の牛を連れた夫婦と娘とカウボーイがいます。夫は南北戦争の怪我で片足を引き摺る心優しい気前のいい旦那です。この牧場へ黒ずくめの伊達男が何者かに追われるように現われます。カークダグラス演ずるこの男を追っているのは夫を殺され自殺した妹の報復を決意した兄(ロック・ハドソン)でした。歌も踊りもうまく即興の詩をつくる伊達男は拳銃使いでもありました。むかし愛した女(ドロシー・マローン)が忘れられず、夫と娘と暮す牧場に訪ねてきたのでした。彼方からこの男の口笛に聞いた女は遙か昔の男の面影に戦きます。男は夫がいることも頓着せず、女との愛を忘れられません。夫は男を働き手として雇います。やがて男の追跡者が牧場にやってきますが、人手がほしい人のいい旦那はこの男も自分の元で働くことを承知します。酒好き夫は街の酒場で南北戦争で北軍側で戦った栄誉を放言すると、ではその傷跡をみせろと若者から因縁をつけられ撃たれてしまいます。雇い上げられた二人が酒場にやってきますが寸時の差で間に遇わず、二人は若者をその場で撃ち殺してしまう。その後は二人は一緒になって未亡人に協力しあう親しい関係になりますが、やがて男二人は未亡人を恋する恋敵となってしまいます。一夜、火を囲み歌と踊りの楽しい一時を過しますが、母親の過去を知らない十五歳の娘は伊達男と踊り巧みな詩的な話しに惹かれ、父子と歳がちがう相手に恋をしてしまいます。その夜に娘が身につけた黄色いドレスは、母がむかし男と幸福な関係にあった時に着たドレスでした。娘と昔の男の様子をみてとった母は、ついに男に娘の父親が誰であるかを告げざる得なくなります。男は昔の女の告白に戸惑い、「汚い嘘だ」と怒りますが、疑惑を懐きながらもそれが事実かどうかは難しいところです。あとはそのことを男がどう判断するかにかかっているからです。これは悲劇のトリックといえるでしょう。この昔の女の一言にはなんの証拠もないのですから。信じるか否かは男が決めることです。娘が身につけた黄色いドレスは、15年まえ母親が着た記念のドレス、嫉妬から肩が破かれ男はそこに桜草を飾りに刺しやったものでした。娘は夕陽の丘で男へストレートな愛情を告白します。戸惑いながらも若い娘に牽かれるものを感じる男は「君はまだ若い、いずれもっといい男が現われるだろう」と娘の愛をいなしながらも苦悩します。雨の夜、幌馬車で女が追跡者との抱擁を目撃した伊達男は、砂嵐の川で死にそうになっている恋敵へロープを投げて助けてもいるのですが、妹のために伊達男の処刑の決意を変えない男との決闘を避けることはできず、すべての道が断たれていることを知るのです。銃からわざと弾をぬき決闘に臨み撃たれた男へ娘が涙ながらに駆け寄りますと、そこへ男がひそかに娘に贈った「桜草」の花束が牧童頭の手から投げられる。この「桜草」こそ幸福であった頃の女との過去を語って、西部劇にはめずらしいロマンチックでありながら、ギリシャ悲劇の格好まで借りて運命劇をも暗示する彫りのあるラストシーンをみせてくれます。

 ついでに書き添えますと、この映画の男は若い頃は詩人はだしで即興で愛の詩を朗唱して女こころ掴む伊達男(カークダグラス)。この映画のファンだった私の友人が高校時代に知った一詩人(アルチュール・ランボー)を私に教えてくれました。語学はスペイン語で一時、ガルシア・ロルカに夢中だったが、本は持たない主義でした。トーマスマンの「魔の山」等は私にくれました。会社の創業者の父も読書家でしたが陸軍の経理のエリート将校で、友人は大学卒業後も国立の工業科に再入学し、父の跡を継ぐことになっていたようでした。高校からハンドボールで鍛えた壮健な身体は人の三倍は働けという父の言明どおりだったのは、バイトを一緒にした経験から私には一目瞭然で、同じように働くことは普通の人間にはまず不可能というべき奮闘ぶり。酒は底なし長者番付一番。その男が会社内の女の子に惚れてしまった。猛反対の両親から私は家に呼び出され、二人を別れさせてくれと頼まれたのですが、すでに二人は同棲していました。見た目に女に悪い印象はなく、同じ家で暮している若い男女を引き離すことはむりと思われました。やがて友人は勘当され、孫の顔さえみることも拒む徹底したものでした。
 友人は70歳にあと一日という夏の暑い日に亡くなりましたが、父の死に目にも、線香一本あげることができなかったと聞かされました。この友人は学生時代、ズボンの右ポケットから手を離さず、やや前向きに歩いていたのが印象的で、あれは多分に西部劇映画の見過ぎからきたものだと思われました。最後に逢った酒場で「俺は『ガンファイター』になっちまった」とポツリと言ったが、それは軽い冗談のように明るいものでした。
 
 ラテンアメリカの文学には「決闘」を主題にした小説が数多くみかけます。筆頭はホルヘ・ルイス・ボルヘスの「ブエノスアイレスの熱狂」ですが、「決闘」と題した6頁ほどのエッセイがあります。また「薔薇色の街角の男」という短篇をボルヘスは書いています。
 ここでは「20世紀ラテンアメリカ短篇集」(野谷文昭訳岩波文庫2019年)に収められたマリオ・パルガス・リョサの「決闘」を一瞥してみましょう。余分なことですが、2010年、リョサは「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」ことにより、ノーベル文学賞を受賞しています。
 この本にはもう一篇「決闘」の短篇がありますが、読み比べてみると断然リュサのほうがすぐれていることが分るでしょう。
 
 フランスの天才数学者で革命家でもあったエヴァリスト・ガロアは20歳で亡くなりました。かれの短い生涯は破天荒なもので、有名な決闘の逸話が残っています。ウイッキーにはガロアについてなかなかに詳細な記述がありました。
 
 さて、最後に日本の幕末の三舟(さんしゅう)の一人、山岡鉄舟が残した「剣禅話」から一エピソードを紹介する積もりでしたが、武道については、宮本武蔵の「五輪書」が自分の実践から書き遺こしたを一書として熟読玩味に値するものと思われます。

 最初に書いたように、日本の武道は敗戦により全否定されましたが、スポーツとなることで生き残りました。今回のオリンピックで瞠目すべきなのは、柔道の73キロ級の大野将平という選手です。かれは2年連続金メダルに輝きましたが、大野選手が守ったのは金メダル以上の日本の武道でした。空手の「型」では残念ながら、イタリアの選手に負けたのは、日本の女性選手の腰がわずかですが浮いていたようにみえたからです。武道としての日本人の空手が外国選手に負けたことは、逆にいえば、柔道の大野将平のように、日本の武道が世界に開かれた普遍性があり得るということです。ひとまず、ここで武道についての論を終えることにしましょう。

 さてここで、上記の「十代で数学の歴史を書き換え、二十歳で決闘により命を落とした孤高の天才」(「ガロア」加藤文元)が書いたとされる詩と、かれの言葉を引用させていただきましょう。

Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans!
泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには、ありったけの勇気が要るのだから!

L'éternel cyprès m'environne:
Plus pâle que la pâle automne,
Je m'incline vers le tombeau.
久遠の糸杉が私を囲む
色褪せた秋よりもなお青ざめて
私は自ら墓場へ赴く


  僕にはもう時間がない  Je n'ai pas le temps






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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