FC2ブログ

漫画の時代

 これまで、NHKの朝の連続テレビなどは過去に一度しか、見たことはなかった。
現役から退いて、8時から朝の15分、テレビを観るようになった。「ゲゲゲの女房」である。大学生の時に、「おはなはん」を観た以来である。
 小学校の頃、漫画の貸本屋は、小学校へ通う途中に一軒あった。私の好きな漫画は忍者物で、たしか白戸三平をよく読んでいた。手塚治虫はなんだか、どうも理屈ぽくってあまり面白くなかった。私はさっそく忍者の鍔が大きい刀をこさえて、当時まだ草茂る赤土の広場の向こうの白い塀をよじ登り、その塀から瓦屋根の離れの屋根に乗り移った。釘を十文字に縛り忍者用の手裏剣も作った。好きなものには子供の知恵を絞ってなんでも作ったのだ。屋根から下を見ると、池に錦鯉が悠然と泳いでいる。その屋敷はよくは知らなかったが、大臣から衆議院議長をしていた偉い政治家の御邸宅であったらしい。時折、岸信介などという偉い政治家を招待しては宴会が開かれていた。庭に面した屋敷の縁側に、着物姿の綺麗どころのお姉さん方の姿がちらほらと見たことがある。だが、その政治家が亡くなっていしまうと、たちまちに、寂しいだけの屋敷になってしまった。それから後のことはよくは分からないが、私が壁から飛び移った屋根瓦は、離れの茶室であったらしい。
 私の家の前が参道で、その参道の突き当たり、階段が折れ曲がって高台に氷川神社の社があった。そこは恰好の遊び場で、いろいろと遊び廻ったのを覚えている。神社の奥にあった樹に登り、その枝から神社の瓦屋根の塀の上へ飛び移り、細いその屋根瓦の上を忍者になって遊んでいた。神主が叱りに来ると、素早くまた枝に飛び移って逃げたものだ。貧乏神社の賽銭箱など覗いても、五円玉さえもみつからない。頭や鼻のかけた狐の石像が、仰々しく控えた小さなお堂もあったけど、太い樹の枝に乗ってブランコ代わりに揺らしたり、板きれを集めて小さな巣を作って遊んでいた。境内には高い銀杏の樹があり、夕暮れになると雀がいっぱい集まってくる。神社の鳥居様によじ登り、そこから銀杏の樹の上に登っていくのである。もうすぐ目の前に雀が枝に留まっているのが見えるぐらいの高さまで上り詰め、パチンコを撃つ定位置を確保する。あとは手製のパチンコに小石をつめ、もう、ねらい打ちができるのである。落ちた雀は猫の餌にやるのだが、我が家のシャノアールは大好物らしく、なにやら嬉し声まであげてむしゃくしゃと食らいついていた。すこし飛べる雀は、脚に糸をつけて猫のみているまえで飛ばしやると、それを追いかけて飛びつく猫が宙を飛び上がった。それが面白かった。トンボの胴体をもぎ取り、代わりにマッチ棒を入れ、火を点けて飛ばすのである。子供はそうした残虐なことが好きなのである。
 一度、別の銀杏の樹に綱を絡ませて登っていたが、その綱が切れて、背中から地面に落ちたことがあった。苦しくって息もできないでもがいていると、誰が知らせたのか、着物姿の親父が驚いてやってきた。こちらの様子をちらと見ると、「なんだ!たいしたこともない」と吐き捨てるように、そのままいなくなってしまった。その淡泊な後ろ姿、あれには子供ごころに失望したね。まだこちらは苦しんでいるんだから、もうちょっと面倒をみてくれるなり、やさしい声でもかけてくれると子供には、期待があるわけだ。それがひょいと自分の子供の様子を見ると、すたこらと帰ってしまうんだから、呆れた親父だった。酒しか道楽を知らず、酔っぱらって帰ってくると、部屋で歌を口ずさんで踊り廻っていた。歌は「狭いながらも楽しい我が家・・・」とかいう科白で、酒が入ると陽気になるタイプであったらしい。「酒が飲めなくなったら、もうダメだな」と言っていたが、ある正月に酒をお猪口にすこし飲んだだけで、それ以上飲まなかったので、妙だなと思ったが、その年の暮れに亡くなってしまった。
 小学校高学年になると、二つの集団に別れて、パチンコの撃ち合いをしていた。おでこかなんかに当たってひどい子が出てから、この遊びは御法度になった。目黒川に沿って雅叙園という結婚式場に塀を乗り込んで遊んだことがあったが、子供が侵入してこれないように、数匹の犬を放っていた。一度、その犬たちに追われて逃げ遅れた仲間が、尻を噛まれてから、私たちはあまり遊びにいかなくなった。このパチンコでは、空を飛び交う鳩だとか、蝙蝠や燕なんかをよく打ち落とした。ひでいヤツは犬の頭をでかい石の弾で撃ち殺してしまったらしい。蝉なんか、網なんかでとるのは面倒なので、狙いを定めて羽根を撃つと、落ちてきた。それをまた我が家のシャノアール様にあげるのだ。あの黒猫は美人だったから、雄が頻繁に来ては、お腹を大きくしていた。その雄同士の喧嘩のうるさく、凄惨なことは驚くほどだった。別の雄から生まれた子猫は、雌の黒猫がいないうちに、殺してしまうのである。半狂乱になった雌猫の哀れな恰好は見ていられないほどだっけれど、その美貌の黒猫もだんだん年をとって、夏の暑さ避けに玄関の敷き石に寝そべりだした。声をかけても、もう大儀そうに返事もしない。ちょっと変な臭いがした。それからすこし経って、近所のお寺のお墓の柵に入っていく姿を見たのが最後だった。猫は死んだ自分の姿を見せないというのは、そのとき見てほんとうのことだと知ったのだ。
 「ゲゲゲの女房」から、どうも子供時代へ時計の針が逆回りしてしまったようだが、たぶんその子供時代の空気が、「ゲゲゲの女房」のドラマに流れているせいだろう。下町ではなかったが、まだ隣近所の交流があった、そういうほんわかと、温かい関係の共同体がまだ残っていた頃だったのだ。
 昭和二十年の後半から三十年までのあの時代の空気は、いまからすればなにか得難いものがあったような気がする。それは質素だが、生活の平安に恵まれた「平和」な時代であったからだろう。戦後のどん底から復興しつつあった上り坂を、私たちはのぼっていたのである。学生になると、なぜか私は漫画に興味をなくした。だから「明日のジョー」なんかの漫画も知らなかった。それで女友達に、大いに、笑われたことがあったが、その頃には、貸本漫画屋などは街から消えていた。
 「女房」といういきものだけは、昔も今も、変わらないらしい。



孫娘 <座技で前進する孫娘>


関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード