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ポルトガル回想紀行

 あれは1997年、私は50歳であった。人生50年の年の暮れをあたら、無為に過ごすことが残念に思われたのだ。海外のどこかで新年を迎えたかった。新潮社の本で「ポルトガルへ行こう」を偶然に読み、深夜の古い映画「過去のある愛情」で、アマリア・ロドリゲスが「暗いはしけ」というファドを歌う場面に感動し、ポルトガル民謡のファドに惹かれいたことから、行き先は決まった。ヨーロッパを越えたポルトガルへ行こうと決めたのだ。
 エールフランスでドゴール空港へ深夜着き、オルリー空港へバスで移動後、小型のポルトガル空港に乗った。
途端に赤ん坊の泣き声、大きな飴を土産にして帰省客のおばさん達のポルトガル語を耳にし、ダスティ・ホフマンに似たおおきな鼻面の乗務員をみるうちに、いかにも田舎へ行く飛行機の雰囲気が醸し出されてきたのだ。
 ピレネー山脈を越えたむこうは、ヨーロッパの片田舎であるとどこかで読んだ記憶があったが、なるほどなあと変に納得したが、ポルトガルは日本からは遠い国であった。篠突く雨のポルトの空港から、深夜のバターリア広場に面したホテル・メルキュールに着いたときは、ツアーの一行はげっそりと疲れ果て、ロビーのソファにへたりこんでいた様子がいまでも目に浮かぶ。ポルトは文字通りポルトガル発祥の地で、食前酒のポルトワインは有名だ。 翌朝、街を散歩すると道はカラフルなモザイクのタイルがひかれ、靄にけむる海と丘に点在する赤、青、黄色の建物は、いかにも異国へ来たという感慨をおぼえさせられた。
 そこから、ポルトガル縦断の旅が始まったのである。ワイン工場での試飲やイスラム色の強い証券所の見学を終え、バスが信仰の街ブラガへ訪れた頃は、空は青く澄み渡り、現地添乗員のポルトガル語の調べにいつしか聞き惚れていた。日本からの添乗員が1年間留学していたアベイロ駅のアズレージョの明澄な青い絵タイルには、素朴な美しさが湛えられ、ポルトガル人の郷愁の純度が想像を越えているように思われたものだ。
 奇跡の丘ファティマへ行くバスに流れるファドの音曲、雨が晴れ空には大きな虹が架かり、いかにも毎年何十万人の巡礼者が集まるファティマの広場には、白いバジリカが建ち、その昔、三人の牧童の前に天からの光りとともに現れた聖母マリアへの信仰が、冬の寒風に揺れながら、祭壇に灯るローソクの赤々と燃える焔に、その篤信が強く窺われたのである。イエスの母であるマリアが、こうした信仰心を呼び起こす宗教的背景は知るよしもないが、私はファティマのマリア像を写真に撮るのは憚られた次第だ。奇跡は法王の耳に伝わり、幼い牧童三人は法王の前で、聖マリアが囁いた三つの予言を話すように促される。三つ目の予言を聞いた法王は卒倒したという。それをここで明かすのはやめにしておこう・・・・。
 大学の街コインブラは静かにモンディコ川が流れ、ここのファドはひと味ちがう明るさがあるらしいが、一泊したホテルのエレベーターは鳥籠に似て、テレビを点けてみれば、ポルトガル独自の番組は少なく、EU圏のCNNやBBCのニュースの外は、日本の子供向けのアニメーションが映っていたのには一興したものであった。
カソリックの聖地ファティマを発つと、私たちは1388年にカスティーリア軍と戦い、その勝利を記念して建設されたバターリアの「聖マリア修道院」に訪れた。この修道院は四十七年の歳月をかけたが完成せず、「未完の修道院」として知られている。アルコバサのサンタマリア修道院は、ポルトガルとスペインの因縁の深さを象徴する史跡がある。アルフォンソ四世は息子のため、カスティーリア貴族の幼い娘を嫁として迎えたが、侍従としてついてきた美女イネスに息子のペドロは恋に落ちる。ペドロの子供まで産んだイネスに激怒した父はイネスを殺害してしまうが、ペドロが王位に即位するや、屍となったイネスを墓場から掘り出して王妃の椅子につけ、死後に自分とイネスのための僧院をこのアルコバサの修道院として建設させたという悲恋の物語が残っているらしい。
 そして、大晦日の夕暮れバスはナザレの漁村に着いた。ホテルの窓から波の音が部屋まで聞こえ、私は自然と波音がする海岸へ出た。夜目に白い木製の長椅子が並び、その向こうに荒々しい大西洋の波が寄せている海岸が見えた。冷たく強い風が海から吹き、次から次へと砂浜へ打ち寄せる荒波は、夜の闇に白い波濤となって牙を剥きだし陸へ襲いかかる獣のごとき、獰猛なる自然の姿を目にした。こうした自然は太平洋で見ることなかったのだ。
 アマリア・ロドリゲスの歌うファドは、不気味な太鼓の音が鳴りどよめく前奏ではじまり、海で失った夫への悲嘆を哀愁をもって、切々と歌いあげられる。そこに「サウターデ」とポルトガル語で言う、郷愁とも運命とも諦念ともいうべき独特の民族性が表現されているのだという・・・・。
 ナザレを発つと、今なお中世の面影を残し、歴代の王妃が「谷間の真珠」と讃える城砦都市オビドスへ訪れた。城砦の入り口に立つ門には立派なアズレージョ(青い絵のタイル)が見られ、そこから両側にレストランや土産店がならぶディレイタ通りが奥へ続き、その一角のバールで遂に、私はヴィーニョヴェルデ(緑の葡萄酒)を飲むことができたのだ。この発泡酒のワインはポルトガルでしか飲めない、フルティーの味がする格別美味いワインだ。
 奥の城砦はいまではホテル「パラドイラ」となり、一年前からの予約で一杯。いかにも誰でもが泊まりたくなりそうな城の雰囲気のするシックなホテルであった。
 その後、風がオリーブの葉を銀色に輝かせ、コルク樫の林のひろがる平原(アレン・テージョ)をバスは走り、エヴォラの街はユネスコの重要文化都市。日本から遙々海を越えて天正遺欧少年使節がオルガンを弾いたというカテドラルあった。祭壇の右手に五千人の人骨に埋め尽くされた人骨堂。部屋の壁に人骨が積み上がる異様な光景をみた。そして穴蔵のようなレストランで食べたのが「バカリョウ・ア・ブラッシュ」(鱈の卵煮)であった。
 一路西のコスタ・デ・ソル(太陽海岸)のリゾート地「エストリア」へ向かい、イベリア半島の最西端のロカ岬へ到着した。「ここに陸終わり、海始まる」の詩人カモンエシュの石碑を横目に、岬の先端に上がる。
 いつもは霧のロカ岬は快晴で、遠方に波が白い燦めきを見せていたが、断崖の下から吹き上げてくる風は強い。
そこから詩人のバイロンが「エデンの園」と頌えたシントラへ移動。深い緑の山中におとぎの国へ行ったような館や城が点在し、街中の貴金属店へ女性が押しかけている。ここの金は純度の高い金だそうだ。婦人たちの目が財布と手にしたネックレスの間で血走っているのが、可笑しいがその顔は真剣そのもの。
 そして、とうとうリスボンへ到着した。リスボンのホテル「アルファリシボア」は五つ星ホテル。
古都リスボンはテージョ川の入江にあり、ギリシャ人、フェニキア人の船舶が往来した天然の良港として栄えた町である。地下鉄に乗り、リスボンの町中へ。丘にある展望台へ登るべく、バイシャ地区から出ている登山電車に乗った。髭面の汚らしい男が、後から乗り込みシートの前に立ちはだかった。その小男はほろ酔い加減で歌をつぶやいている。汗くさい男の異臭が匂う。その小男が着けている汚らしい粗末な服、そして男が放つ汗くさい体臭、それに惚けたように口ずさむ哀愁をおびた歌の調子が、妙に心に響いてくる。ふと車内にいる男や女たちを見る。それはどこかの絵の中でみた顔にちがいなかった。顔の前に垂れるような鷲鼻、素朴な田舎者を思わせる、やや大きめの穏やかな目、いかつい肩幅。それはまさしく日本人が昔のある時代に、好奇の目で眺め描いたあの南蛮屏風に出てくる南蛮人に相違なかった。どこかの家の窓から、鰯の炭火焼きの匂いが立ち上り、黄昏がうっすらとリスボンの街角を染めていた。
 サンジョルジェ城への道を登った。アルファマの細い路地の石畳を歩き、ひしめきあった建物のあいだに猫が寝そべっている曲がりくねった階段を上ったが、あいにくなことに、サンジョルジェ城は工事のため閉鎖していた。 崖上にあった一軒のレストランの前の椅子に腰を下ろす。そこからは夕暮れのリスボンの街が一望できたのだ。下町の生活のざわめき、どこからともなく漂う鰯の焼く匂い、窓辺から垂れる白いシーツと無数の洗濯物。ビールを飲みながらパイプを吹かし、その店のテーブルに寄りかかり、そこから見える景色を漫然と眺めた。夕陽の幾筋かの雲を残した空が青灰色に輝き、その空の下に翳りをおびたリスボンの街が広がっていたではないか・・・。
 アベイロ地区の路地にある「フォルカード(闘牛の恋)」という名前のカザ・ド・ファド(ファドレストラン)が、リスボンの最後の夜であった。美味しい料理と旨いワインで、皆は盛り上がり、レストランを出ると、一組の中年の夫婦はからだを揺すってなにやら声にだして歌い、陽気な旦那は、道ばたで靴の踵を蹴って踊りだしている。空に月と星がみえ、路上に黒い影が揺らめいていた。
 
  皆さん、ごらんなさい
 この古き日のリスボンを・・・・
 待ち受ける五人の王
 王立の闘牛
 お祭り、人びとの行列
 朝ごとにきく物売りのふれ声
 ・・・みんな二度とは還ってこない・・・
 リスボン、魅惑と美にみちた・・・       
                (「暗いはしけ」より)

 夕べの陽が西に傾き、街は代赭色の影の中に沈んだ。丘の上の残光が向かいの丘に見えるサン・ジョルジェの城壁を金色に耀かせている。
「アテ・ア・ブレーベ」(さようなら)
 そんなポルトガル語の調べが、現地の添乗員のマリア似た青い瞳の女性の小さな口元から聞こえた。
それが私が最後に聞くポルトガル語のことばとなった。

 帰国後、私は一編の詩をリスボンの絵葉書の写真いりで、ある新聞に載せて貰った。偶々古本屋で入手した「ぽるとがる游記」(新潮選書)の著者、角幡春雄氏へ送ると、早速氏から返事がきた。その拙い私の詩をここで付記しておこう。ポルトガルへ私と同じ思慕をもたれる角幡氏と会う機会を失っしまったけれど、いまも元気でおられるだろうか。


  リスボン哀歌

バイシャから電車に乗ると
ほうけた髭の小男が歌をくちずさんでいた
リスボン それは忘れ去られた絵はがき
古ぼけた静かな街


鷲鼻の南蛮人が粒々辛苦の果て
日本に鉄砲と聖書を伝え
天正の少年使節が遙々と海をわたり
教会でパイプオルガンを弾いたのは昔のこと  

海岸ではいまでも喪服を着た老婆が
帰らぬ夫を慕い砂浜に字を描いているとか 
荒々しい風と波にもまれた
皺だらけの顔と暗い眼窩


モザイクの石畳を男は
ただ虚しく愛しい過去の恋人をさがして
壊れた水道管から水が滴る
アルファマの迷路の露地をさまようという  


されどアマリアの歌はもうそこに聞こえず
失われし青春の 郷愁の花輪が
華やかな宴のあと テーブルの下で忍び泣く  
血塗れの黒衣の聖母マリアさながら


ポルトガルの下町 リスボンの下町”アルファマ”
ポルトガル写真2
黄昏のリスボン






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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