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シベリア抑留  ほか2編

<シベリア抑留>  
 「日曜美術館ー宮崎進 シベリア抑留のカンヴァス」をテレビで見た。
4年間シベリア抑留の芸術家が創った彫塑「歌う兵士」に、私の目は奪われた。番組が終了するまで、加齢にともないパーキンソン病に罹った、温厚な老人画家の顔と姿に、私の全身はおののき、魅せられていた。
  これまでシベリア抑留の画家や詩人が幾人もいたことを知らないではない。横山操、香月泰男、石原吉郎などだ。だが、この老画家から窺えるのは、冬の後に春がくる自然の変容とは異なる、苛酷な運命に襲われた絶望の淵から意思のちからで這い上がり、手に掴んだ、芸術家のおそるべき変身の勝利によって、温かく強靱な「人間性」ともいうべきものである。
 カンヴァスはたしかに、シベリア抑留の体験により引き裂かれ、荒涼に悶えた生々しい経験の総量が偲ばれるが、やがて、人間として生きていくことの根源から、「精霊の踊り」「花咲く大地」のような、萌え出る血の色をした歓びに彩られていくようである。そして、凍えて慄えるような口元から語られる「人間としてあることの自由」は、どんな哲学書に記された「自由」よりも、大地にかよう空気、爽やかな風のように、なんと軽やかな響を持っていることであろうか。
 「私は自分自身でありたい、人間ひとりひとり、ありのままでありたいと思う」と、淡々とこう語る老芸術家の
ことばは、風のようにその翁のほほえみとともに、消えていくのを思わず追うしかなかったのである。

<スパイ映画「ソルト」>
 映画「ソルト」を妻と二人で上野の映画館でみた。私はアンジョリ・ジェリーナというバロック的な(ポルトガル語「barroco」の「いびつな真珠」)ともいうべき官能的な女優が秘かに惹かれていることは妻には内緒で、この映画を見に行ったのだ。しかし、これほど、息もつかせぬ彼女の派手なアクションシーンが連続し、時間と空間が交錯するスパイ映画だとはちと想像してはいなかった。スパイ映画は筋と登場人物が込み入っているので、私は正直あまり好きではない。結末がいつもすとんと腑に落ちてくれないもどかしさがいやなのである。どうもおちょくられたような気分がしてならないのだ。私のあたまの回路がよほど単線にできているのも知れないが、これとは反対に妻は若い頃から、「刑事コロンボ」のような推理ものが好きだったようだ。よくこの類のドラマを見た後に、
「どうもよく分からないねー」とつぶやく私の鈍な感想にたいし、
「なんでなのかしら?」と怪訝な顔をされたあげく、
「考えすぎじゃないの」と皮肉をこめて揶揄されることになるのがいつものことなのだ。
 ロシア側のスパイとして子供時代から訓練と指導をうけた「ソルト」という名前の女が、仲間とアメリカ大統領の暗殺を企てるのだが、実は彼女が遂行する行動は、ロシア側のスパイを次々と殺害する裏切り行為なのである。そして、アメリカ国土の半分を破壊する核爆発をその寸前にくいとめる。かと言って最後に彼女がアメリカ側の味方かという訳でもないらしい、という宙づり状態で観客を投げ出したところで映画が終わる。
 小気味のいい展開のために観客を飽きさせることはないが、ぜんたいの顛末に合点がいかないところがやはり残るのだ。しかし、これこそスパイ映画の本質があると考えると、得ることがあると思われる。
 かたく抽象的な表現になるが、両面性、多義性、不透明性こそが、スパイという、特異なる存在の属性そのものなのではないか、と。そして敷衍すれば、その曖昧なる性格が現代の、不透明に多極化しつつある世界を、象徴的に表現する「寓話」となるのではないかと。
 「寓話」といえば、メキシコの詩人にして思想家のオクタビオ・パスは、20世紀の最も重要な作家としてフランツ・カフカを、現実と幻想を融合した錬金術師として称揚していたが、カフカ自身は自分の作品群を「夜の殴り書き」として、死後、焼却するように友人に遺い残して歿したのだ。「変身」の主人公、グレゴリー・ザムザは朝起きると、自分が毒虫に変わっていることを知り、家族もそれを発見しておどろく。ザムザの滑稽なまでの狼狽ぶりと、それへの家族の奇妙な反応は、この現代の「変身譚」として類のないユーモアにみちた表現を獲得している。カフカが妹たちに、朗読してやると、妹たちが笑いだしていたというカフカ自身の証言もあるくらいだ。
 アメリカ大統領のオバマが、核廃絶を世界にアピールしたプラハは、まさに、カフカの生まれ作品を書きつづけた場所(トポス)である。数年前、銀婚式を記念して妻とカフカの生家を訪れたことがあったが、カフカ自身が言うとおり、プラハは迷路のような街であった。さて、オバマが、経済的な格差を解消する社会制度等の改革政策を提起することから、「コミュニスト」呼ばわりをされかねないアメリカの国内情勢と、このスパイ映画の出自は無縁なものではないのではないか、というのが私の感想である。
 現今の日本へ目を移せば、仮に、日本が1951年に単独講和条約と同時にアメリカと締結した安全保障条約を見直し、アメリカの核の傘からの離脱を宣言したと仮定する。あくまでこれは仮説に過ぎないのだが、日本が半永久的にアメリカの軍事基地になることを拒否する選択をしたとする。すると途端に世界の日本を見る目は、どうなるのであろうか。東アジアはもちろん、世界の中で日本は、この映画の「ソルト」と同類の存在に似てくることになるにちがいない。
 アンジョリ・ジェリーナの「ソルト」は、バロック的な美女であり、どんな苦境からも脱出可能な辣腕の戦士であった。いま世界全体が、一種のダブルバインドの世界へ変質しようとしている状況からすれば、こうした空想は単なる空想に終わらないのではないか。これはカフカの悪夢にちかい、日本が選択する究極の、反転した「夢」のかたちに近似してこないであろうか・・・・。
 数あるスパイ小説のなかに、ジョセフ・コンラッドの「密告者」という短篇がある。ポーランド人のコンラッドが英語で小説を書くに至るまでの履歴には、想像を絶する体験がつまっている。その故にか、彼の書く小説は、独特な重層的な語りの構造が繰り込まれている。これはドスエフスキーについてバフチンが指摘した「多声法」(ポリフォニー)ではない。輻輳した「独白」の連鎖構造だ。映画「地獄の黙示録」の原テキストになった「闇の奥」(大学で偶然に原書講読に使用した)はその傑作ともいうべきものだろう。主人公はこの語りの螺旋の階梯から湧出されてくるのである。

ジョセフ・コンラッド

                
<バー「琥珀」>  
 バー「琥珀」がまだ上野にあるのは奇跡のようだ。映画の帰途、一人このバーの重い扉を開けた。80年代から、私がこのバーのカウンターに座ったのはそう多くはない。だが、ある新聞の文芸担当記者の紹介文の一片から、このバーを知り、それから幾人の男と女の友人達を連れ、或いは一人で、このバーの扉を押したことだろう。あるとき、ある友人と有楽町からこのバーへ梯子して飲んでいたところ、その友人の隣に岸田劉生の息子さんがいたことがあった。友人とは有楽町で岸田劉生の近代日本画について語り合ってきたばかしであったので、その奇遇になんとも驚いたが、友人と交流する電圧が高まっているときは、その言葉の交流電気に誘われて不思議な事が、よく起こったものであった。
 狭い空間だが、後ろの壁にはギリシャの壁画が描かれ、むかしこれを見に、自決まえの三島由紀夫が「楯の会」の学生たちを連れて、このバーに来たことがあったようだ。そういえば、これもしばらく通った新宿の「どん底」の酒場も、同じように彼が学生を連れてきていたことを思いだしたが、私は上野のこのバーに来た、有名な詩人や作家が座った椅子に腰掛け、目のまえに並んだ酒の瓶を眺めながら、ここで飲む洋酒はすべてが美味かったのは、単に私が若かっただけではないであろう。
「おひさしぶりです」温厚なマスターはまだ元気そうに、私を覚えて声をかけてくれた。
 往時は、カウンターに巨きな蝋燭が静かに燃え、その灯りだけでバーは充分に明るかった。スペインのチェロ奏者セゴビアの、えぐるような深い音曲が流れ、訪れる人の品客も良かった。田中絹代さんに面差しが似た現在のマスターのおふくろさんも健在で、帰るときは路地に出て見送ってくれた。その立ち姿にはこころがこもっていたものだ。
「なにかお奨めのワインはある?」
 マスターは酒蔵から一瓶をとりだし、コルクを開けた。店の女の子二人がちょっと息を呑んだような間があった。
 私はグラスを傾けた。舌と喉がややとろみのあるその冷えた液体に触れ、その濃くのある流体を味わった。いやそれは濃くなんていうものではなかった。威厳のある聖なる淀み。透明な琥珀の一滴であった。
 深い欲望の私の喉は、さらにもう一杯を所望した。突然そのとき、ポルトガルで飲んだ「緑の酒(ヴィーノ・ヴィルデ)を思いだした。あれは発泡酒のフルーティーな香りのする魅力的なワインであった。
 そして最後に、「ドライ・マティーニ」をやはり一杯、元帝国ホテルのバーテンダーだったと伝え聞くマスターがシェイクして、それを飲んだ・・・・。
 鋭い斬れ味のマティーニが、私の喉と過去の記憶を一閃した。






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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