FC2ブログ

「ティーファニー」

 数ヶ月ぶりに八重洲のブックセンターへ行った。このあたりの景観の変わりようは凄まじく、あの本の形をしたビルを見つけるのに迷うくらいだ。
 それより、さらに変わったのは一階の本の陳列棚の商品の変貌ぶりには、「やはり、おまえもか」と愕然とした。店員の人数も、ほとんど半減にちかい少数化だ。お盆のせいもあろうが、また、客足がばかに少ない。本を読む人が激減しているのであろうか。本の値段は一部を除いて、一頃よりずっと廉価になった。私も懐具合もあって本を買うには厳選にこれ努めざるえないのであるが、本との出遭いはふしぎなもので、機を逃したら再会はなかなかむずかしいものなのだ。この日も一冊だけ買うつもりが、都合四冊にふくらんだ。そして、いつものように中二階のコーヒー・ショップ「ティーファニー」の椅子に座って、一階の風景をしばし眺めていた。
 すでに述べたように、一階の奥と右の陳列棚には、やや高価ではあったが、それ相応な趣きの書物が鎮座していた筈であったが、それらはすべて消えた代わりに、あるものは私には興味のない、古本屋の店の前に風でさらされる「ぞっき本」の類といったら著者たちには申し訳ないが、そうした品物ばかりになった。
 以前、日本の「貧困率」をこのブログで語ったことがあったが、もしかして日本人の精神の貧困化がこんなところに現れているわけはない。本への需要が根本的に変化しているのだ。インターネット上での中古もふくめて良書への需要は見えてこない。
 しかし、それにしても紙媒体の本への嗜好度が、低下していることは事実ではないだろうか。
 その第一は、電子書籍化の進展とインターネット情報の影響があろう。まず、前者についての展望を、小説家の平野啓一郎氏が、中央公論「活字のメディアの消える日」(2010年6月号)で、取り上げているので、それを参考に紹介しておこう。
 まず、第一には、昨年の出版業界の年間売上げ高は2兆円を割り、20年前の水準に落ち込んだことだ。
この原因は複合的(リーマンショック以来の景気悪化、インターネットの普及ーただで時間を潰せるため、これにより読書の時間は減少した)である。
 第二には、アメリカでは、昨年電子書籍端末の販売台数は前年の5倍に急成長(梅田望夫「ウエッブ進化論」06年12月刊第3章の本とネットを参照のこと)、そして、昨年グーグル検索の裁判があり、今年1月アップルがiPadを発表し、電子書籍市場への本格的な参入後、議論が沸騰している。
 しかし、本へのフェティシズム論、出版業界の失業問題、高給問題、その他諸々の問題点が混在し、未整理状態となっているが、これは既成のジャーナリズム批判とメディア論がゴチャゴチャになり、感情レベルの話しが混乱に拍車をかけているせいであるが、いまや電子書籍化の流れは歴然として、好悪の次元を越えているので、この流れを直視すべきこと。
 第三には、出版業界の最大の問題は、流通と小売りである。具体的には、取り継ぎ会社を潰せないし、大型書店との関係がどうなるかだ。また、日本人の特性として、ビジネスライクに合理化できない傾向があるが、現在の不安定な過渡期を短縮させるべきだ。アメリカは試行錯誤により、血を流している経験を持っているが、日本はそれを静観(様子見)しているのは、過渡期のハンドリングは難しいせいだろう。
 第四には、大日本印刷が紙の印刷から半導体の印刷へビジネスの重心を移している。具体例として、主婦の友、丸善、ジュンク堂を傘下にし、新古書店ブックオフへ出資している。こうした大日本印刷を中心とした出版業界の再編がうまくいくかどうかが、一つの鍵となるだろう。そして、紙と電子書籍はかなり長い間共存していくと考えられるが、世代交代とともにこの比率は早いテンポで変化するに相違ない。特に、教科書に電子書籍が導入される段階で、その刷り込みは紙の本を読む感覚を失わせることになるだろう。
 第五には、一番厳しいのは「雑誌」であるが、その理由は、記事単位でダウンロード可能になり、雑誌そのものの意味がなくなる可能性が大きい。音楽アルバムでは、この傾向が早い時期にみられた。そもそも雑誌の編集方針とか理念を維持することが難しくなる。電子化は紙と異なり、コストがかからないし、雑誌の編集部が「プレステージ」をどう考えるにかかっている。要点は、雑誌の存亡では、出版社も作家も損はしたくないので、どういう方法で金を稼ぐかという問題となる。食べていけない作家は、雑誌や新聞にエッセイを書いたり、大学で教えたり、教える代わりに新書を書き、それとセットで講演をすることになるが、いまのところ、講演料は原稿料よりもまだ高いが、雑誌がなくなることは、作家にとって経済的に打撃となるだろう。
 第六には、作家は新たな方策として海外市場に活路を求めるのもいいが、日本の文学では、海外の日本文学研究者が、自分が面白いとした本を、自国の大手出版社に持ち込んで、オーケーを取り翻訳する受け身のビジネスをしている。現地で本を作り流通させるコストは電子ではぐっと下がる。積極的に日本の出版社が、エージェントや翻訳家と直接契約し、新刊は国内で英語、フランス語、中国語に翻訳して、各国のアマゾンなどに電子書籍として配信することを考えるべきだ。原稿枚数1000枚の作品では、相場によるが一枚あたり2000円の翻訳料として200万円、いまキンドルで、販売価格の上限が9.99ドルと言っているので、だいたい1000円ぐらいとして、世界で英語で翻訳されたものが、1万部売れれば、売上げは1000万円になる。その70%を出版社と作家に支払うと700万円。日本で200万円かけて翻訳し、あと編集とかコストを考えても、収益がでる可能性がある。こうした海外出版は作家に開かれた大きなチャンスの一つで、そうなると出版社もドメスティックな問題だけではなく、翻訳の面倒も見て、海外エージェントとのやりとりまで全部するという形は、ビジネスの活路ではないのか。
 第七には、作家になる段階での難関は、出版社とコネができ、出版することだ。これからは、出版のハードルは下がるだろうが、継続的に作品を売り続けていくには、あまりに本の数が多すぎて、困難が別の段階に移るだろう。その点、文学賞の意味は大きくなった。なにを読むかの選択にそれは影響を持つからだ。売り出し方や宣伝に力を注ぐのとクリエイティブな作業の集中とは両立は難しい。編集や校閲などの制作工程までは作家がやる余裕はない。それで分業をしてきのだが、これからは出版社の形態が変わり、エージェント化しても、そうした業務はいままで以上に必要になると思われる。
 最後に、書籍データは、著者、出版社、印刷会社の誰のものなのか? 法的には編集の著作権は認めれてはいない。出版契約業務を行っているのは、著作権事務所で出版社ではない。出版社が海外出版の支払いの法的権利はないが、政治的な配慮から呑まされてきたのだ。この議論は、コンテンツとそのメディア化とをどう整理して考えるかということになる。
 つまり、出版社が紙媒体用の版を作った権利はあるにしても、それを「電子納本」に際して主張できるか? それは弱いだろう。あまりなことをやられると、作家は理解ある編集者たちとエージェントを立ち上げ、校閲は外注化し、プロセスを合理化して本を出すようになる可能性がある。いま、電子書籍でも取次が必要というので、アップルが7社くらいと契約をしている。作家が本にかかわるすべてをやるのは困難だ。いままで出版社が培ってきたものが活かされる面はたくさんある。ネット対既存の出版体系のような対立は不毛でしかないだろう。
 平野氏の意見を概括してみたが、その他、氏は梅田氏と対談をしている。それらも参考となろう。
 朝日新聞紙上では、「メディア激変」と題して「電子書籍元年」「ネット企業の戦略」等の詳細な現在の状況を報道しているが、これによると、シャープが年内に電子書籍端末を販売する方針、日本語方言のフォーマットをいかに統一規格にするか(「ドットブック」参考)、今後はグーグル、ソニー、アップルなどが世界標準を目指す、オープンな「イーパブ」の縦書きが注目されている。7月に開催された「東京国際ブックフェア」は大盛況で、取次会社や印刷会社、書店の動きも慌ただしく、著作権管理がやはり問題として浮上しているとのことだ。
 5年後は電子書籍市場は国内で2千億円規模と予測され、「大きなビジネスチャンス」となる。大手のトーハンはビジネス支援の取り組み強化策として、書店内にダウンロードできる装置の導入を検討している。また、印刷大手の大日本印刷は、10月に約10万点をそろえた電子書店を開設、出版社に制作、配信まで支援するサービスの提供するとしている。この大日本印刷とNTTドコモが提携し、携帯での5千万の顧客基盤を生かした市場の主導権を握る狙いがあるだろう。NTTドコモは10月から12月に、スマートフォン(多機能携帯電話)向けに雑誌や書籍、マンガなど50コンテンツの無料配信を試験的に導入し、利用者の使い勝手を参考に、来年からの本格導入に備えている。こうして、携帯通信大手3社が鎬を削って競う構図となるに違いない。「マルチメディア放送」のインフラ事業者には、NTTドコモが正式に決まり、従来の携帯電話回線よりも大容量のデータを一斉に送信する技術の優位性は否めないが、採算に合うかどうかの懸念は残っている。グーグルも早ければ来年初めから、「グーグル・エディション」なる販売事業を日本で始める予定等々、電子書籍時代をめぐる業界の動向と同時に、作家の活動として作家の瀬名秀明氏らの書き手が6月に売り出した電子雑誌「AiR エア」は、約3500部で採算がとれ、5千部で原稿料が雑誌並みになるとのことだ。その他、ツイッターが注目されるのは、企業から消費者という上からの目線ではなく、個人同士がギブ&テークの”対等性”や”正直さ”が持ち味となるビジネス(「ツイッターノミクス」タラハント著)は、お金に代わってネット上の通貨が「信頼」となる市場の価値転換が、新時代を迎えて夢想だにしない「概念」を産み出すかも知れないのである。 
 さて最後に、古いフランス映画「The hunchback of NOTRE DAME」(ビクトル・ユーゴー原作)では、冒頭から教会の中で、グーテンベルグの印刷機がホットな議論を呼んでいるシーンがあったが、アナログからデジタルへの大規模な潮流の変化が、新しい芸術文化と相俟ちいかなる思想を生み育てていくかは、一に人間が近未来の社会環境に、いかように生きていくことになるかに、かかってくるであろう。
 偶々、昨年、平野氏の「決壊」なる長編小説を読んだが、その結末には不思議な消失シーンが描かれ、一種不思議な魅力を放っていたのが印象的であったことを、最後に言い添えておこうか。


関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード