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「悪」につて

 冷酷・非情な人間はこの世に生きていけない。求婚者に三つの謎をかけて、一つでも間違ったら首を切り落とす、プッチーニのオペラ「ツーランドット」姫は、最後には「愛」を知りその歓びを歌う。あれほど威厳にみち、権力の絶頂に屹立していた、恐怖政治の女モンスターが、ぬくぬくと生きていくのが難しいこの世とは、翻るといったい何であるのだろうか。これが悪の視点からみた世界を反転する眺望となるのだ。
 ヒットラーやゲッペルスはどうして自殺しなくてはならない心境に追い込まれてしまったのだろう。彼らの行為(ジェノサイドを含む戦争行為)が正当なら、裁きの場で堂々と信ずるところを述べ、臆するところなく、自分を処罰する人間に唾を吐きかけ、「その銃の台尻に噛みついてやる」(ランボー)くらいの抵抗の意思を示さなかったものであろうか。悪への絶対の意思、他人を虫けらのように見下し、憐憫の情などは露ほども持たず、世界制覇の夢を貫徹し、「力への意思」を体現する強者は、なぜにこの世に存在を許されないのだろうか。
 例えば、ローマ皇帝であったネロと狂気の皇帝カリギュラ、悲劇の犯罪者ジル・ド・レ、中国の皇太后、犯罪の確信犯では、英国の切り裂きジャック、日本においては、快楽殺人者の大久保清、また、ここには石川五右衛門も入れてもよい。どうして善が栄え、悪が滅びねばならないのか。こうした問題の深淵を覗こうとした哲学者や作家や詩人として挙げられるのは、ニーチェであり、ドストエフスキーであり、ボードレール、その他マルキ・ド・サドやジョルジュ・バタイユなどがいるだろう。
 オペラ「ツーランドット」は、元小泉純一郎首相が好きだったそうだが、分からなくもない。しかし、小泉程度の政治における「冷酷」は、マキャベリの書物を紐解くまでもなく、政治家にはある場合には必要な「徳」でさえあるといえるだろう。彼もヒットラーの空疎なワンフレーズの演説が大衆の心をいかに熱狂させ、瞬時に掴むか、嘘も幾度も繰り返せば嘘ではなくなるという大衆操作の手法を模倣したのだろうか。あるいは、横浜埠頭の沖仲仕を仕切っていたご先祖さまの血筋に由来しているのかもしれない。
 人間は天使にも悪魔にもなることはできないが、善にも悪にも、状況次第では簡単に傾斜する動物であることは、誰でもが知っている。映画にもなり第34回モントリオール世界映画祭で主演の女優が最優秀賞を受賞したの「悪人」(吉田修一著)は、ごく普通の青年と女性の物語だ。私は意外に長い小説ながら、わりに熱心に読んでしまった自分に驚いた。それで以前の作品「パーク・ライフ」(平成14年度芥川賞)を、偶々、雑誌を処分中に目にしたので改めて再読してみた。この小説は昼の日比谷公園に集まる人々の淡彩なスケッチ風の物語だが、一対の男女の交流がこんな文章に表現されていた。
『「もうお昼食べた?」
 彼女はそう言うと、ここへ座るようにと、トントンとベンチを叩いた。地下鉄で初めて言葉を交わしたときもそうだったが、彼女の話し方は相手との距離をすっと縮めるような印象がある。グッと強引に手繰りよせられるのではなく、目の前にぴょんと向こうが跳んでくるように縮めるのだ。まだ何も知らない同士なのだが、「もうお昼食べた?」と自然に訊いてくるその口調は、まるでぼくの部屋の合鍵を持っているような親近感さえ抱かせる。』
 特に才気を感じさせるというのではない。選考委員の三浦哲郎はその選評で「隅々にまで小説の旨味が詰まっている」と評していたが、人と人の間柄を見る目が柔軟で、丁寧な手触りがあるのだ。
 アメリカのユダヤ系のバーナード・マラマッドという作家は、若い頃の私にはそのじめじめして、ねちっこい作風に辟易させられたものだったが、最近、刊行された「レンブラントの帽子」にはえらく感じ入った。たった30枚ほどの短篇が、彫刻家と美術史家という二人の人生の、直裁な生地を捉えて見事な出来映なのである。最後の三行だけをここに書き写しておこう。
「彼は白い帽子をかぶっていた。レンブラントの帽子に似ているように思えた。あの帽子だった。それをルービンは、あたかも挫折と希望の王冠のごとくかぶっていた。」(小島信夫他訳)
 たったひとつの言葉や動作が、状況によりどれだけ、他人のこころを傷つけ、逆に励ましになるか。認知症患者の介護の現場では、互いの顔の表情や態度を読み取ること、そして言葉遣いの仔細な配慮が大きな影響を与えるらしいのであるが、人間の感情とその記憶との密接な相関には、おどろくべきものがあるようである。
 「悪」についての話しがだいぶ逸れてしまったが、モラルの問題を猶予してすこし距離をとってみるがいい。江戸時代まで幅をひろげただけでも、「悪」は「善」同様に、世界を彩る重要な風景の一大要素なのは、浄瑠璃や歌舞伎作者の近松門左衛門、鶴屋南北、河竹黙阿弥等の豊穣な世界を一望するとき、その強壮にして深甚かつ華麗な劇場に欠かせないのは、疑問の余地はないのではあるまいか。
 2010.9.5のテレビのニュースでは、一女性の殺人者がつぎのようなことばを口走ったと報じていた。
 ー私は今日生まれた。
 アメリカ映画「モンスター」のヒロインも、おなじことばをつぶやいていたように、私は感じたのだが・・・・。シャガールの「誕生日」を「ヘブン」の隠れたキーワードに小説中に埋め込んだ川上未映子は「悪」の認識において、いますこしバタイユや渋沢龍彦等の深淵を覗いてみて欲しいものだが、いかがなものであろうか。
「ばかね、あなた。小説は学識で書くものでは、あらへんわな」
 と、あの艶っぽい、可愛い声で反論されたら、どないしょう・・・・。






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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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